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ゴルフ野性塾スペシャル
No46...同業者のスウィング...(5/25)

中島プロのスウィングは?
中島プロの大ファンです。1985.86年と2年連続で賞金王になったころは、毎日のようにスポーツニュース、新聞を見ていました。ところが、このところちょっと元気がないようです。そこで、お聞きします。中島プロの現在のスウィングはどのようになっているのですか。
(香川県 トミーの大ファン)

あえて言わないこともある
人間のやること、完全なんてものはあるまい。人として生き、人間の持つ欲の半分も達することが出来れば人として生きた値打ちはあるはず。その点、プロスポーツ人は欲の達成しやすい職に生きている。我々は間違いなく幸せなのである。

それでもプロ同士、お互いに言いにくいこともある。

同業者のゴルフを論ずる時、いろんな意味での核心部分、それに選手の心情が分かりやすい分、私にはそこに触れることの出来ぬ遠慮がある。それは、同業者同士の間に流れている「礼儀」の部分でもある。

評論家稼業の人はその点、礼儀の部分に侵入することが出来てきる。それは彼らの「特権」とも思う。私には出来ぬ。私にとっては、実にうらやましいところなり。

一芸に達した者が悩むとき、その者は髪の毛から足の爪先まで、悩み抜いている。 そういう時、その者に対して、彼自身がアドバイスを求めてこない限り周囲の者が声をかけるのは非礼と思う。苦しみ浅き者には、誰しもが声をかける。声をかけやすい雰囲気がある。一流と二流との間には、苦しみの差がある。それは雰囲気となって、同業者には伝わりくるものである。

私は選手の欠点部分については、オブラートで包み込んだ論を出す。欠点よりは長所にペンの方向を向けている。私の目は、その選手のはがゆいばかりの欠点に向いていてもである....。

もし、私がスウィングに関して、酷評を出したとする....。そんな欠点部分は、選手にはフィーリング的に分かっているのである。然れば、フィーリング部分を言葉にかえたとして、一体どこにその選手の得る利があるのか? ゆえに、私は意識的にトボけた目で遠くを見る。

しかし「エーイ、一言いってやりたい、彼は分かっていないのではあるまいか」という欲が生じることもある。そういうとき、私は女の話をする。こういう時の私はチョッピリの我慢をしている。

中島に対しても、87年の全英オープンの時に気がついたことがひとつあった。その後もあった。勿論、私は腹におさめた。中島の強運を信じた。再生の出来る、彼の才能を信じた。プロスポーツ選手とは、殺伐とした自然の砂浜に、健気に咲いてゆく鬼あざみの如きもの。生命力がすべてなのである。

プロスポーツ人の心意気とは、華やかに咲き、静かに散ってゆく、砂春の花の如くありたい、と私は思っている。