ツートンカラーの還暦ラウンド?
恩師の還暦をお祝いするゴルフコンペを計画しています。趣向をこらしたコンペにするため各自がアイディアを持ち寄ることにしていますが、ゴルフ道からみていかがなるものでしょうか。なお参加者は4パーティ、16名で、桜の時季に予定しております。
「還暦という祝事なので、全員がクラブのシャフトに紅白の布(又はテープ)を巻き、ボールは全体の半分を紅くペインティングして紅白のツートンカラーにして雰囲気を盛り上げる」
(神奈川県 44歳)
球は白きままに飛べ
ゴルフ道というのが、一体如何なるものであるのか、私には分からない。「道」という言葉は、好きである。この言葉の振りまく甘美さを好む。
しかし「道とは何ぞや?」と問われた時「道とは----である」と言えるほどの所信はない。
ゴルフ道というものが、JGA発行のルールブックに載っている、マナー、ルール等の範ちゅうに入るのであれば、それに準じた背伸びしないゴルフへの姿勢なれば----私自身、世間並みのレベルでの把握は出来ているつもりである。
だが「道」とはあくまでも個人の主観領域であろう。そうなると「道」と問われた時、ゴルフの哲学がない私は窮する。
私のゴルフへの思い込みはいつも変わる。また、人の影響を受け易くもある。性分は軽い。これまでの生きてきた自分を振り返った時、轍の跡のつくような重量感がまるでない。何せ、人間が傲慢に出来ているから、余りにも感受性が乏しすぎる。ゆえに、得るものが少ない。
軽自動車のタイヤみたいな幅の狭さであり、ミゾの浅さである。
最近、己の性格の軽さを感じている。もちっと、ドッシリ構えられんかいな、と思うことがたびたびある。
40歳すぎれば、2000cc車の重量感は欲しい。軽自動車では淋しい。
相手とぶつかった時、萎縮してしまう。それが自己嫌悪となる。
ごく自然な自分を出せず、妙にひん曲がる。
人は、坂田は面白い男だ、発想がユニークだ、顔が個性的と言ってくる。
なに!---何のことはない。私は己の軽さにアキれてヤケッパチになっているのであり、この顔は親から貰ったもの、己で作ったものではない。
これからは自分で顔を作ってゆかねばならぬが、軽い軽い性分ゆえに、ただ卑屈な顔にならぬよう、気をつけるのみ。自然に、ありのままに、というのは難しい。その難しさを知らされる日々である。
椅子に座り、貴兄の葉書を読み、私は正座した。考えた。考えているうちに訳が分からなくなってきた。
ゴルフ道とはなんぞや!
私は、ゲームの流れが悪くなり、スコアも乱れ、苦しくなった時、いつとはなしに空を見るようになっていた。雲の流れ、形、色、そして空の優しさを探していた。うつむいて歩くのはいやだった。
1ストロークで予選落ちばかり続けているうちに、本当にいつとはなしに、空を見ていた。今、それは習慣となっている。
そこまで、思いを飛ばした時、私のゴルフへの思いは暗闇の中、光のさすのはあり得ないのではという気になってきた。
人は、明るさの下で生きている。一流は明るさを選んでゆく。私はそれが出来ぬ。こうもりみたいな、ぶらさがりゴルファーの意識は強い。
あーあ、分からん。人生論を問われた時、己の身の軽さが応える。メタンガスの中からボコボコと吹き出る泡みたいなものである。
「ゴルフ道」----私には分かりません。流されるままの日々の中、ゆっくりと考えてみます。
シャフトにテープを巻くのは愉快なアイディアと思います。ただしテープの重みとしなり具合の変化で、ゴルフにならないでしょう。
ボールの半分をペインティングするのには疑問あり。インパクト、あるいは落下の時に色が落ちるでしょうから、そのアイディアは2ホールでオシャカになるのでは?
球は白きままに飛んでゆるのが大慶の心と思いますが、如何に。
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