海外で恋しいものは何?
私は仕事の関係で、海外の長期出張が多いのですが、外地での疲労感、寂寥感にとらわれたとき、無性に演歌が恋しくなります。今では必ずカセットテープを鞄に入れて出かけます。日本にいるときは、それ程聞きたいとは思わないのですが、海外では涙が出るほど心に滲みてくるから不思議です。塾長は海外で、何が恋しくなりますか。
(千葉県 34歳)
泣いたことが一度だけある
音楽なら何でも来い。カラオケ大好き人間の中島常幸は、長期アメリカ遠征後、完全なる演歌人間になって帰ってきた。
それまでは、演歌はたまにしか歌わない男だったが・・・。つらい旅であった様子。
私は演歌は好きでもなく、嫌いでもなし。3カ月の旅でも、カセットを持って行ったことはない。
歌に泣かされたたとは、一度だけある。
昭和53年の9月中旬より12月24日までの4カ月弱にわたるオーストラリア、ニュージーランド遠征時 ----。
2試合続けて1ストローク差で予選落ちした後、アデレイド市郊外の安ホテル、閑散としたバーの片隅にあるジュークボックスの前。時は夕刻。
私はエルビス・プレスリーの「マイ・ボーイ」を幾度となく聞いた。訳もなく、ただ漠然とした気分でボタンを押していた。聞きながら泣いていた。涙が止まらなかった。
長男雅樹が、この年の2月に生まれており、生後9カ月の雅樹の写真とともに、女房の成長を詳しく記した手紙がこの日に届いていた。軽いホームシックに陥っていたのであろう。無性に淋しかった。
手紙を書くだけの気持ちの余裕もなく、国際電話をかける金の余裕もなく、コレクトコールでは歯止めがきかなくなるし、日本へは音信不通の4カ月弱。
友人の一人が、大使館へ問うていたということを、帰国後に聞いた。「坂田は生きているのか、それだけでいいから調べてほしい」 -- と。
成績が上位にくれば、共同通信社経由で新聞に載りもしようが、下位ではそれもかなわず。
この遠征では多くの人に心配をかけた。今にして思えば、女房の手紙がよくも試合地に届いて来たものだ。
私が海外で恋しくなるのは、日本文字。やたらと本を読みたくなってくる。活字中毒みたいなもんであろう。
現在、日本食は世界の地に行きわたり出し、金さえあれば食べられる。食からのホームシックはなし。しかし、高いですネ、日本食レッストランは。
やはり、欲しくなるのは「本」だ。
しかし、私は本を持って外地へは行かない。
私のこだわりの部分である。
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