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ゴルフ野性塾スペシャル
No61... ゴルフ場と自然破壊について...(9/14)

これ以上ゴルフ場は必要か?
私は地方出身ですので、自然の素晴らしさを身にしみて分かっています。たまに飛行機に乗った時に、窓から下を見ますと、ゴルフ場だらけの山地などがあり、何か痛々しさを感じてしまいます。ゴルフ人口に比べ、ゴルフ場の数が他国より少ないことは知っていますが、何となく無理にゴルフ環境を作っているような印象を受けます。日本のゴルフの将来は暗そうに思えます。坂田塾長は、どのうように考えられますか。

(神奈川県 35歳)


太陽の下のスポーツは不可欠

学生時代の私は、ゴルフ場をイモ畑にせよ、と論じていた。また、都心近くのゴルフ場敷地全部に楠の木を植えて、森林を作るのも面白いと思っていた。その発想は、世間に対して、厳しく己の主張を要求し、他人に妥協出来ぬ、若輩者のエゴであった。

若さの時代は、時の変化についてゆけるスピード感溢るる小局観を持ち、それを絶対だと信じ --- 、老年の時代は、世のスピードにはついてゆきにくいが、ゆったりした流れの大局観を前面に押し出してくる意識が強いように思える。

この違いは樹木の成長過程と同じであろう。大樹になるほどに、成長は分かりにくい。しかし、確かに成長しているのである。それも、若木の時よりは遙かに大きく。

今の私は、娯楽というものが人間として生きてゆく上において、如何に重きものであるかを多少なりとも知っている。その娯楽を必要とせねばならぬ年代にも来ている。

日本は多少なりとも豊かになった。第三次産業に生きる私は、胸を張って歩ける意識が持てるようになった。

私は多くの国に行った。20年近くの間に、十数カ国に行った。同じ国を幾度となく訪れたこともある。これから先も、その旅は続くであろう。

それらの国情を追想して感じるのであるが --、人間にとって、太陽の下で遊べるスポーツは、学問と同様の価値を持っているのではなかろうかと。豊かな娯楽環境こそが、国力の力強さを生んでゆく原因の一つ、と思わざるを得ない事態に何度も出合ったことがある。

しかし自然破壊はよくない。この地球は人間だけのものではない。生あるもの、草木にいたるまで、地球の住人であるはず。

人間には知性がある。理智がある。人間とはその智で、共存可能なラインを守ることの出来る地球上唯一の生物であり、その認識は必要であろう。

身勝手は弱き者の特権。強き者が身勝手をやると、全体のバランスはアッという間に崩れ去る。人間は一歩も二歩も謙虚であるべきと思う。

自然破壊を阻止する力は行政にある。役人のみが、そのパワーを持つ。役人の倫理観が、これから先の日本の自然環境の保護膜になろう。当然、世間に対し、己の欲に対し、甘えた意識は捨ててもらわねばならぬ。行政に携わる役人の汚職に対しては、実刑をもって当たるべきではなかろうか。

役人と教員の給料はもっと上げるべきとも思う。商人に「理」を問うても、そりゃ右の耳から左の耳に抜けてゆくばかり。馬の耳に念仏。念仏の聞ける耳を、役人にだけは持ってもらいたい。

空から見るゴルフ場造成地域は、そりゃヒドい光景。貴兄が腹を立てるのはごもっとも。しかし、食うがための地方地域の行政方針であれば、仕方ないなという気はする。ゴルフという娯楽は、日本の活力源とも思っている。ゴルフ場は必要、と私は信ずる。

建て前論では喰ってゆけぬ。都会の人、親の資産を多く持つ人の論は、貧しい地方人にとっては、時に足許に濁流を流してくる嵐のようにも思えて来るものである。

これ以上、ゴルフ場が必要なのか否かは、100年先を見る見識で決めてゆくものであろう。私には全く分かりません。