鹿沼はゴルフの故郷
鹿沼は私のゴルフの故郷。想い出が埋もれているし、道端に転がっているのもある。
23年前の11月、私は楡木街道を走る関東バスに乗ってボストンバッグ1つの身で鹿沼CCに来た。寒かった。不安もあった。
今、クラブハウスの外観は然して変わっていない。内も同様。23年前の顔もいる。懐かしい顔だ。皆、歳は取ったが、心の優しさ、変わっていなかった。
「お帰りなさい」と、キャディさんが言ってくれた。
「貫祿出て来たんじゃない。立派になったよ、プロ」
「そうですか。単に体重が増えたただけでよ。あの頃に比べると20キロは太りましたからネ」
「出ていって何年になるの?」
「17年になりました」
「早いもんだ」
「早かったですネ」
南コースをプレーした。1イーグル、5バーディ、1ボギーの6アンダーで回った。
「どうだった? プロ」
「66ですよ。プロみたいでしょう。これからプロテストでも受けるかな」
「何、言ってんのよ。立派なプロのくせして!」
「力、ないですよ」
「あるよ。プロは私達のプロなんだからネ。どこにいてもここを忘れちゃ駄目だよ」
「忘れませんよ。1年に1度は必ず帰って来ます」
「有名になったものだ。来るお客さん、皆、プロのこと知ってるもん」
「そうですか・・・」
「そうだよ。プロは有名だよ。私達も自慢出来るよ」
亡くなった方もいる。定年で去られた方もいる。
「私もあと5年さネ。それでお別れさ」
「まだまだ、これからでしょう」
「そんなことはないよ。孫も出来たからネ」
「可愛い?」
「可愛いネ。孫のオモチャ代と思うと2ラウンドも回れるよ」
人も懐かしい、樹も懐かしい、グリーンも懐かしい。
「明日は何時スタートだい」
「8時半ですよ。物書きには辛い時間ですよ」
「プロなんだから、毎日6時に起きなきゃ駄目だよ。健康にだけは注意しなよ」
「ヘイ、ヘイ。努力します」
鹿沼ではいつ迄たっても私は新人のプロ。だからこそ、鹿沼を故郷として、私はゴルフに生きてゆける。
実に優しき雲が出てきた。夏が秋へと変わりゆく。原稿書く場を、と言ったら理事長室。
「プロは鹿沼のプロさ」
私は明るく笑った。1人になって泣いた。
私のゴルフのあとを長男雅樹、周防灘研修生、熊本、札幌のジュニア塾生が継いでくれる。いつの日にか、彼等を鹿沼に連れて来よう。
「研修生時代、俺はここで64を出した。プロになってからは60を出したぞ。出してみろ」
その日を待つ。鹿沼に夏の終わりの風が吹く。時の流れゆく中、想い出の影伸びてゆきます。
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