自分が嫌いです
塾長は自分がいやになるってありますか。私は優柔不断で、弱気な自分の性格が大嫌いです。いつも「頑張ろう」「強気でいくぞ」と自分に言い聞かせて事に臨むことにしているのですが、いざとなるとどうしても腰が引けてしまうことがあります。後でうだうだいっても遅いのに、いつも後悔ばかりの日々です。(--中略--) 塾長に教えていただきたい。「自分とうまく付き合い、コントロールする」方法を。
(神奈川県 25歳)
断じ切っては駄目だ
人は多くの可能性を持つと思う。言い方を変えれば才能。
勿論、可能性を支える多くの性格もある訳でしょう。その理由は、才能と性格とは表裏一体にならねば姿を現せぬものゆえ。
人は時の中で己の可能性を殺してゆく。社会とゆう共存態が殺すこともある。それを運の命、すなわち運命とゆう。運の命が、花開けば生きることって面白いとゆうセリフに変わろうし、運の命、つぼんだままか、枯れるかすれば、生きること面白くなかったとゆうことになろう。
60歳過ぎて、己の60年を振り返り、面白い人生だった、幸せだった、との念を持つことが出来れば、その60年に運の命の花、咲いたは間違いない。
才能には種類がある。世間に認められて、世間の風の中で咲かねばならぬ才能と、己の心の中で咲けばいい才能の2種類とに ---。世間の風は報酬をもたらす。己の中の才能は己だけの幸せ才能。
私は忍耐、順応も又、才能と考える。己の中の確かな才能。世間の風に咲く才能と、己の中の才能とはやはり一体のもの。その様に考えてゆくと、運命、運の花の咲きどころはどこかにある。
60年の中、どっかにある筈だ。あるいは気がつかずに来たのかもしれないし、捨ててきたのかもしれぬ。60年経って、振り返って分かることだろう。60年、経たなきゃ見えないのが運の命の影なんでしょうな。
貴兄には、まだまだ多くの可能性がある。今、己の性格を断じ切ってはいけない。己を駄目な男、と決めつけてはいけませんぞ。運の命は突然姿を現すことがあるんですからネ。
楽観性格も悲観性格も、それぞれにいい部分を持っているし、悪い部分を持っている。世に絶対とゆうのは2つしかない。生と死。他に絶対はないんだ。そこを考えなさい。
己を変えてゆくも善し、己をありのままにさらけ出すも善し。そして、そこに人との出会いが生じよう。それこそが運の命の道なんだからネ。
私は己を卑下したことはない。ただ、駄目だなァと思ったことは幾度も幾度もある。楽観性格の良さは、事を忘れることの素早さでしょうぞ。私は己を駄目な性分と思ってみても、一夜で忘れてきた。父と母に感謝している。
忘れなさい、忘れなさい。60年、色んな人と出会い、出来事もある。全部、抱え込んで生きるには重過ぎるよ。自分をコントロールする方法とはネ、過去を忘れることだ。
私は自分の中に忘却谷を持ってます。要らない出来事、谷に捨ててきた。物書きしている今、たまに過去を谷から拾い上げてますけど・・・。
時、経つと、谷に捨てし過去は発酵している。そして、いい味わいになってる。自分の胃袋が丈夫になってきてる証しなんでしょうね。
貴兄は己を変えずに、今のままで充分と思うがネ。こと更に変えることはなかろう。私も変えてこなかった。今を大切にして欲しい。
得意なクラブ一本を作りなさい。不得意なクラブを練習しなさんな。ゴルフの練習量ってのは、得意なクラブの練習量8割、不得意2割がベスト。得意なクラブの練習は、不得意クラブのレベルを上げるものです。
不得意クラブの練習量を増やすと、得意のレベルは落ちるよ。長所を伸ばしにゆくか、短所を矯正にゆくか、私にすれば短所矯正はやらない。己が消えちまう。
いいですな、己を出しなさい。得意なクラブの練習をやることだ。
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