私はせっかちである
「ゆっくり行きましょう。明日は雨です。時間は十分ありますから」
「駄目だ。その気になった時でないと事はスピーディには進まない。一夜漬け、せっかちは父親から受け継いだ性分。親の財産は大切にしなくちゃな」
「それ、財産と言うんですか? ただの性格でしょ」
「間違いなく、いいも悪いも親から貰った財産。財産を否定するのは親不孝。それが言える俺は親孝行だぜ」
「どこが?」
「人の欠点に眼を向けてばかりいると、老けるのが早いよ。人の長所に眼を向けてる人は間違いなく若い。どんな職業でもそうだ。そして古今東西」
「坂田さんが言うと、本当に聞こえます」
「坂田信弘、ホラは吹くけど嘘はつかん。助平じゃあるけど、珍々宅急便ではない」
「今からですかあ。12時になりますよ」
「やるんだよ」
6月7日、大分・杉乃井ホテル50周年親睦コンペに招かれて出た。コースは別府ニットーGC。
プロの技をアマの方に知らせるには、アマの方のドライバーで打つが一番。素振りを1回もせず、借りたその場でティショットを打つ。
私はやりました。
「流石、プロ!」
1ホール毎に移動してゆく方式で、18ホール、18組の方と面識を得た。ショートホールを除く14ホールのティショット、アマの方のクラブを使った。
14ホール中、失敗は1度だけ、昼食後の10番でチーピンを打った。食べ過ぎ、飲み過ぎ、そして力みが原因。
視線が多いとき程、軽く打てと人には言ってきているのに、力んじまった。靴の中の指先が滑った。お粗末。
「プロゴルファー、45歳過ぎたら貸しクラブで十分。足りない分は心のアドレスで修正。ただし、250ヤードのドライブですぞ」
とホラ吹いた手前、このミスは痛う御座居ました。
「坂田プロのお墨付きを得たクラブだ。これからは、クラブのせいには出来んぞ」と13人の方が言った。10番ホールは残念。
物書きと喋りは日本プロ協会ナンバー1。ワタシがマイク持てば静寂の中に拍手が起こる。
杉乃井ホテルはいいホテルでした。部屋も広けりゃ、食事もいい。恋人か、家族で泊まるホテルですな。私は6日に札幌から来て一人で泊まりましたけどネ。
パーティ会場、佐々木新一さんの「あの娘たずねて」を聞くことが出来た。私は佐々木さんと松山千春さんの曲を好んできた。この日は幸運でした。
8時10分、杉乃井を出た。周防灘へと向かう。9時25分、周防灘CC着。研修生1人いた。アプローチ練習でもしていたのだろう。
私はアイアンのグリップ換えを始める気で館内の電気をつけた。そこへツイてない1人が来たのである。
「グリップが細い。多分、素振りの効果が出てきているんだろうな。1カ月でグリップを細いと感じる様になってきたぞ」
「俺、夕飯、まだですよ」
「いいから黙って巻け。明日、持って行かにゃならんのだ」
「それだったら徹夜してでも頑張ります」
グリップ11本交換は1時間で終わった。
今日6月8日、スケジュールを変更して周防灘にいる。午前中は眠っていた。午後、散髪に行き、それから周防灘に行った。
本当は今朝、朝イチで東京へ移動の予定だったが起きれなかった。イビキかいてたと女房が言う。体調はいい。40歳過ぎればイビキは出やすいのだろう。
夕刻、研修生全員のレッスンを、クラブハウスのロビーで2時間半、みっちりとした。
後、連中は焼肉屋へ行った。払うは私。師匠はいつも腹すかしてペンを持ち、連中は、ビール飲みながら焼肉食べてる。腹、グーッと鳴った。
現在時、8日の午後11時20分。周防灘事務所にて本稿を書き終える。これよりファックス送稿。
外は雨。梅雨に入った気配。眠くなってきた。
明日、移動する。周防灘に戻るのは7月29日の予定。長い旅になりそうだ。
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