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ゴルフ野性塾スペシャル
No164...挫折...(9/26)

ゴルフを辞めたい
(--前略--) 大金を賭けてやりました。その日も案の定、負けてしまい、最悪だったのです。その日を境にゴルフはもう辞めてしまおうと思っています。辞めようと思うよも、むしろゴルフがいやになったというのが素直な気持ちかも知れません。(--中略--) 塾長はゴルフを辞めてしまおうと思ったことはないですか? 塾長と小生では辞めたくなるレベルは雲泥の差かもししれませんが、挫折、そしてやる気への過程はどのようなものでしたか? よろしかったら教えてください。

(大分県・38歳)


目標を高く、眼線を遠くに


4年間の研修生時代、ゴルフを辞めようと思った事は無い。

プロテストに通ったのが昭和50年の9月。51年よりツアー参戦。私の経験だけで述べるが、目標がしっかりしていればゴルフ辞めたい気は起こらぬものだ。目標がぼやけると挫折はすぐに訪れる。ポンポンと軽い足取りでやってくる。

要は目標がしっかしているか、否かです。持つ目標は遠い方がいい。余りにも近く、余りにも簡単に手に入る目標では目標目指すやる気の花も萎れよう。

研修生時代、私は有言実行を押し通していた。その発言の過激さゆえに、でっかい夢持つ研修生がいる、とゆう事で新聞にも載った。片隅に載った訳じゃない。中日スポーツの裏一面にドカンと載った。

研修生が新聞の裏一面を飾るなんてことは滅多にない話。親の光り、アマチュア戦歴等の後盾皆無の研修生。

当時、私は愛知県の貞宝CCで修行していたが、気分は最高。練習量は増した。そしてプロテストに通った。

私の天敵はムチ打ち症。テスト通って3カ月後、交通事故に出会い、最初のムチ打ちに出会った。

体は健康な方がよい。不健康だと、目標眺める眼線が低く短くなって行く。

昭和52年、2度目のムチ打ちに出っ喰わした。54年に再びの交通事故。3度共、助手席に座っていた。直してはガツン、直してはガツンの繰り返しだった。

運は朝日の方を向いていたのに、ムチ打ちで頭が揺れた。57年、4度目をやった。ムチ打ちに惚れられてると感じた。

58年はいい成績じゃなかった。22試合中、17試合の予選落ち。内、1打足りずの予選落ちを7試合連続で続いた。

前年度迄は予選通過率5割程度であったが、一気に3割となった。通過率5割では試合経費を出すのが精一杯。6割を超えなきゃ、ツアーで喰ってる気分にはなれぬ。5割切る様では経費捻出のため借金を作らなきゃならぬ。

それが3割。400万円の借金を作った。最終戦の大京オープン。ここで予選落ちたら辞めようと思った。そして1打足りずに落ちた。

周防灘の支配人に辞表を書いた。周防灘の支配人は驚き、各方面へ電話連絡した。東京在住の友人等がスッ飛んで来た。あと1年、頑張れ、と励ました。

頑張った。駄目だった。そして借金返済のため物書きを始めた。

振り返れば、3度目のムチ打ちで目標追う眼線が下を向いた様な気はしている。目標がボヤけた。1度だけの辞めたい病だった。現在は然り気なく日々を過ごす。

ゴルファー生活26年、成功はしていない。失敗でも無い。結論出すのは5年後の55歳の時と思っている。

目標をしっかりと持つ事だ。それでやる気も起こるだろう。挫折なんてのは時間が癒してくれる。目標向かって進み行けば、挫折は挫折でなくなる。

挫折を挫折としないためには眼線高くする事でしょう。他人に頼らずとも、自分の意志でコントロールは出来る。貴兄は眼線を上げよ

負けの賭け金は一気に払っちまえ。チョビチョビと分割で払っていたんでは本物の負けになっちまう。無理を承知で負け金は一気に払うのがベストの方法。

それで展開は変わる。一気に払えぬ負けの額ではあるまい。目標を高く持て。日本アマ優勝を目指せ



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