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ゴルフ野性塾スペシャル
No170...坂田塾と縁...(11/7)

2月23日5番目の坂田塾

2月23日、5番目の坂田塾開塾のために名古屋に入った。()

平成5年8月に熊本、平成6年6月に札幌、平成8年6月に周防灘、福岡と開塾。そして今般の名古屋塾。

最初は熊本塾ただひとつの予定であった。しかし、求めありて札幌、周防灘、福岡と開いてきた。総ての地、強き縁、宿る地である。

熊本は生まれ故郷であり、中学3年の12月24日迄住みし地。私の本籍地は昔も今も熊本県熊本市辛島八番地。

札幌は私の最大の友人であった内科医、服部毅の住んだ地。彼の私に遺せし遺言は、「北海道から世界に通用するプロゴルファーを!」であった。服部毅は昭和60年に心筋梗塞で逝った。

周防灘は20年間、所属を続けている周防灘CCの所在地である。福岡は平成8年4月に福岡県豊前市より移り住み、生涯の地と定めし所。

名古屋はプロライセンスと女房を得た地。

栃木県の鹿沼CCでゴルフを始め、修行の為に愛知県豊田市の貞宝CCに移籍した。貞宝在籍時の昭和50年9月、プロテストに通った。

女房は知り合ったのは昭和48年4月だったと記憶する。出会いの場は中部日本放送局の正面玄関。女房は放送局に勤務していた。

5つの開塾の地、いずれも縁濃き地である。

平成8年9月、名古屋の大学より教授職依頼を受けた。お断りした。是非との願いであった。大学教授になる気はないが、ジュニアゴルフ指導であれば考える、と応えた。

その時から、名古屋塾開塾へ向けての動きが始まった。1年5カ月後の今月23日、記者会見の場が設けられた。新聞5紙、雑誌1誌、テレビ局1社のメディア7社が会見の場に来てくれた。本来なら我等より挨拶に出向くのが筋。メディア7社には深く感謝している。

翌日の新聞朝刊紙面に載った。中日新聞、中日スポーツ、日刊スポーツ、読売、毎日、2日間で120名強の問い合わせが来た。問い合わせは今も続いている。

5月に熊本塾6期生、札幌塾5期生、周防灘と福岡塾3期生、名古屋塾1期生の選考会をそれぞれの地で開く。

坂田塾は大きくなって来た。小学3年生より大学迄の一貫教育。練習場、ゴルフ場、ゴルフクラブメーカーの無償協力。メディアも協力してくれている。高校、大学もだ。

コーチも無報酬。ガソリン代ぐらいはと言ったが、彼らは断って来た。財界人も協力してくれている。この後、千葉、船橋塾を作る予定。

「今、坂田プロが倒れたら、塾も倒れます。健康にだけは注意して下さい」と言ってくれる人がいる。大丈夫、我が身、10年は持つ。10年で塾運営の柱を確たるものにしたい

本稿、熊本にて書く。明日、福岡・行橋税務署へ行く。税金申告。今日2月27日。体調良好。



注記

上記は執筆当時の状況です。現在は熊本、福岡、周防灘、神戸、札幌、東海の各塾が開かれています。


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