世界の選手たちからの発見は?
全英オープンのテレビ中継で、久しぶりに塾長の顔を拝見いたしました。テレビクルーやカメラマンの中にまぎれ込んでいる塾長を発見したのです。そんな間近なところで世界のトッププレーヤーを見て、何か発見することがありましたか? 何か発見がありましたら教えてください。
(新潟県・47歳)
我が儘と迷妄の頑固さ
観戦記を書くためのペンを持ったのは昭和60年のマスターズから。以来、全米オープン、全英、全米プロと取材の場は広がり、この15年間でメジャー競技延べにして44試合の取材を行って来た。
日本、欧米のトッププレーヤーに共通する性格はあります。それは頑固さ---。
頑固には二通りの性格がある。己に自信ありての頑固さと、迷妄の作りだす頑固さ。己に自信あれば自在性の強い変化を善しとする頑固さとなり得るし、迷妄の頑固さは拘りの強い性格を持つ様になる。いずれが世間に通じるかと申せば前者である。世界規模で考えれば尚の事、前者となる。
日本は後者の頑固さを助長させる様な教育を行って来た。人は誰でも我が儘を持つ。持たぬ人はいない。ここ迄は問題ない。我が儘と迷妄の頑固さが重なり合えば実に厄介。己だけを凝視する様な性分が出来る。
今、日本教育界が最も悩み苦しんでいるのはそこだ。我が儘と迷妄の頑固さ、重なり合った人が多くなり過ぎているのです。
一人二人なら名物人間として面白がられるが、右も左もとなると面白さは消える。その人の存在は世間の調和を乱す厄介者になって行く。厄介者が日本に増えている。厄介者の教育現場への口出しが厄介事を起こす。その事に厄介者は気付かない。いい気になって己の我が儘と頑固さに酔い痴れているばかり。確かに厄介だ。
我が儘を壊すよりは迷妄の頑固さの方が壊し易い。当たり前の事でしょう。我が儘は人間誰でも生まれた時から持っているが、迷妄の頑固さは教育の中から生まれたものです。そして誰でもが持っている訳ではない。要するに無知というだけの事。
面白がらなければ消える頑固さだが、名物人間として面白がったから迷妄の頑固さが市民権を持ってしまった。迷妄の頑固さは殻を作る。年と共に硬い殻を作る様になって行く。
誰かが外から叩き壊さなきゃ閉じ込められて行くばかりだが、周りの人間には迷妄の頑固さに付き合う余裕も己の心を汚す気もない。我関せず、時過ぎればどっかへ行ってくれるか、誰かがやってくれるだろう、と高みの見物とシャレ込む。プロゴルフ界、欧米と日本の差はこの頑固さの量の様な気がしてならない。
日本には迷妄の頑固さが増え過ぎた。迷妄の頑固さは向上心のない嫉妬心と重なり合う。これも厄介事だ。
嫉妬心、いわゆるジェラシーにも二通りあるものでして、向上心のあるジェラシーは善玉と考えるべきだし、向上心のないジェラシーは悪玉と考えるべきだ。嫉妬心は誰でもが持つ。
向上力のある、変化を善しとする嫉妬心を持つ者は成功の途に踏み込むし、向上力のない嫉妬するばかりの者は成功の途を探し切れないで終わる。それが総てのプロスポーツ界の姿と思う。現実である。
向上力を持つ嫉妬心と己に自信ありての頑固さとは重なり合います。善は善と重なりて強さを増し、悪玉は悪玉と重なりてモロくなって行くばかり。日本プロゴルフ界、善と善の重なり合った者は300人迄でしょう。ヨーロッパもアメリカも日本の5倍はいると思う。その差です。
体・技・心が問われているが、心の構築に必死に取り組んで行かないと日本プロゴルフ界は欧米に離され行くばかり。女子プロ界には樋口久子さんと岡本綾子がいる。男子プロ界には杉原輝雄さん、青木功さん、尾崎将司さんがいる。中嶋常幸、倉本昌弘、尾崎直道も頑張っている。彼等が元気な内に彼等に続く者を育てなければいけない。
ジュニア界に眼を向けるべきです。子供のゴルフ出来る環境を作るべきである。セントアンドリュース市は4つの18ホールと1つの9ホールを持っている。全英オープン会場のオールドコースも市の持ち物であるが、市民は年間95ポンド、日本円にして2万円で一年中プレー出来る。16歳迄の子供は年間25ポンド、日本円にすれば5千円で一年中プレー出来るのです。
日本と欧米の差はここにある。日本での一回分のプレー費と一年分のプレー費が同じという現実。そしてプロゴルファーはボランティアで子供達にゴルフ指導して行く現実。ジュニアで商売している日本とは総てが根本的に違っている。ゴルフは教育の一つの手段である。そう考えれば欧米のゴルフ界の姿勢には納得出来るし、ジュニアで商売しようとする日本ゴルフ界の姿勢にも納得出来る。
仕方ないことでしょう。価値観が違い過ぎる。どちらも間違ってはいない。価値観が違うだけの事です。私は私に出来る事をやって行くばかり。
素直に申せば7年前、ゴルフ界のドン・キホーテになるつもりで熊本ジュニア塾を開塾しました。理想を追い求め、現実に背を向けたピエロの役割を覚悟しての開塾でした。最初は冷やかな眼線ばかりだった。熱い視線を持っていたのは協力練習場、協力ゴルフ場、協力メーカー、メディア、そして塾生の親と塾生とコーチだけだった。
今は違う。熊本県内、熱い眼線で熊本塾を眺める人が増えた。札幌も福岡も周防灘、東海、神戸の塾もそうなる事を願う。私は頑固に生きる。ピエロとして生きて行ってもいい。
ただ迷妄な人間だけにはなりたくない。向上力のない嫉妬心だけは持ちたくない。この二つの心を持つのだけはイヤだ。
欧米と日本との差はあります。でも、日本は変化を善しとする頑固さを持った国です。いずれ、欧米に追い付き、追い越して行くでしょう。私はそう信じています。
|