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ゴルフ野性塾スペシャル
No255....ゴルフ場の樹と語れ...(8/5)

キャディに当たってしまった・・
(--前略--) しかし調子が悪くイライラがつのり、その矛先をキャディに向けてしまったのです。「オイ、クラブ」と右に左に引きずり回しては、当たり散らしていました。すると、キャディも不満爆発、一転私を無視して、逆に同僚への徹底サービス。終わり6ホールほどはほとんど、相手にされませんでした。私が悪いのですが、今後キャディさんとの上手な付き合い方を教えて下さい。

(埼玉県・34歳)


己のマイナス部分を見つめよ

貴兄の若さが出た。若さはプラス部分とマイナス部分を持つ。プラス部分を認識する必要はない。マイナス部分を認識して日々を過ごせばよい。

良き社会人とはマイナス部分の認識持つ人だと思う。誰もが若さのプラス部分とマイナス部分の二つの脚で過ごして来た。それは正常な姿である。プラス部分だけの脚で生きて行くは不可。出来得る筈もない。

人間、究極の傲慢さとはマイナス部分への認識なき姿。貴兄は己のマイナス部分を認識出来ている。それでよい。34歳としては充分なる姿だ。

己の悪しき部分を知るは苦しい。反省するのも苦しい。躁の気持ちでは出来ない。鬱(うつ)の気持ちで向かわねばならぬのが苦しい。だが、この苦しさを乗り越えて行けば人間性の厚みが増す。人格が艶(つや)っぽくなって行く。艶は必要だ。艶のない人格には人が近付かない。

己を見つめる時の鬱の気持ちが人間性を磨く。その事に私が気付いたのはごく最近。社会人として生き行く為には躁も必要、鬱も必要。落ち込みの鬱は人間の年輪を作る。貴兄の反省、大いに結構な事じゃないか。貴兄の人格に艶が増す。

ところでキャディさんとの上手な付き合い方の伝授だが、貴兄は今のままで行け。ただ、人に当たるよりはグリーン横、ティ横の杉の木に当たった方がよい。杉の木に向かって問えばよい。私は阿呆か? と。杉の木は答える。アンタは阿呆だ、と。

どうすりゃ阿呆が無くなるか? と問え。杉の木は答えるだろう。人間から阿呆を取り除くは不可能。阿呆は阿呆らしく生きて行け、と。

阿呆って何だ? と問うてみればよい。杉の木は答える。阿呆を知る事が阿呆だ。阿呆を知らぬは馬鹿。馬鹿より阿呆を私は欲す、と。

キャディさんに問うても答えはしない。同伴競技者に問うても無理。人間の阿呆と馬鹿を眺め続けて来た樹だけが答えてくれる。

貴兄は樹に語れ。己と語れ。貴兄の中の己は樹と同じ答えを出すに違いない。ゴルフ場は己と語り、樹と語る場である。己と語らず、樹と語らぬ者は傲慢なる人。私はそんな人、嫌いだ。多分、向こうも嫌っているだろう。

嫌いな者同士、無理に握手する事はない。無理の旗をかかげて生きて行きたくもない。貴兄は己のマイナス部分を知る人。私も己のマイナス部分の5割方は知っている。7割知れば宗教家。8割知れば人格者と呼ばれ、9割知れば君子になるでしょう。

私は5割の凡人領域で過ごし行く。貴兄は己を急に変えてはならぬ。キャディさんに不快感を与え得たは貴兄の不徳なり。問題は過去ではなく、これから先だ。過去の決着はついている。貴兄は反省した。

人に当たるな。樹に当たれ。樹を蹴ったり殴ったりしてはいけない。樹は生きている。語りかけよ、語りて、樹の答えを待て。貴兄は樹と語れ。




この「野性塾スペシャル版」は週刊GDの過去の連載からピックアップして転載したものであり、周囲の状況が現在と異なっていることが多々あります。

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