週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。
2002年8月のプロテストに合格した茂木は、一見おとなしそうな風貌。しかし、話してみると自己主張のはっきりとした、歯切れのいい受け答えをする選手だ。用品契約メーカーの担当も「こういう物が欲しい、と明確にオーダーされます。女子プロではあまりいないタイプかも。シビアな要求もありますが、それにお応えできたときには、とても丁寧にお礼を言ってくださいますし、『このクラブのお陰で、こういうプレーができてます』というような感想も返してくれます」と話す。 1977年4月25日、群馬県新田郡笠懸町生まれ。家族はそこで飲食店を営む。高校時代まではバドミントンとバレーボールを経験、バドミントンでは高校総体群馬大会新人戦でダブルス3位、団体戦3位の実績を残すも、高3の春、父に勧められてゴルフを始めたという。 「ちょうどテレビでマスターズを観て、とにかく綺麗なコースに感動しちゃったんです。こんなところでやれるスポーツなんてすごいって」と茂木。 その冬から知人のつてで静岡の時任宏治プロに弟子入り、高校卒業と同時に静岡・朝霧CCに研修生として入社した。その後、プロテスト合格までは6年を要したが、研修生活5年目に塩谷育代のキャディを務めるチャンスに恵まれ「最終日の塩谷さんのゴルフを間近で見てプロへの思いが本当に強くなり、練習内容や考え方もそれまでと大きく変わりました」と、ゴルフ人生ひとつめの転機とした。 ツアーデビュー年の昨年はウェイティングでの(繰上げ)出場が微妙、という立場で9月までで8試合に出場。ここでは好成績は残せなかったが「プロになって一年経ち、群馬の実家に戻ることにしたんです。そんなときに、SANKYOの毒島社長が赤城GCの所属にしてくださり、家族のバックアップも受けられる環境になって……」。 途端に10月のステップアップツアーの穴吹工務店レディースで優勝を果たし、11月には、エリエールレディスオープンでは最終日に66を出し、単独3位に。賞金ランク51位で、最後の一席に滑り込む“離れ業”で初のシード権を手にしている。 シーズンオフは「技術面より一年間闘える体力を作ろうとゴルフ場の中をランニングしたり、坂道ダッシュをしたり、プールトレーニングも取り入れた」という茂木。下半身中心の強化の成果が早くも開幕前2月、プロ研修生100人が出場したグアム知事杯で優勝、という結果に表れ、さらに今回のリゾートトラストレディスでのプレーオフ4ホールにも活きたと言えよう。 研修生時代から7年半住んだ静岡での優勝に「私はこの静岡の地でゴルフを覚えました。本当に感謝しています。ありがとうございます。静岡で、先生に初めて連れていってもらったこの大会で、どうしても勝ちたかった」と心の内を明かしている。試合中はポーカーフェースだったが「あれは、わざと、でした。先週、友達に『ボギーを打った後に表情が暗くなる』と言われ、何があっても表情を変えないように気をつけてたんです」と茂木。この辺りもゴルファーとしての意志の強さを感じさせるコメントだ。 プロ合格時には「1億円プレーヤーになること」と目標を書いたという度胸もある。仲間からはタレントのホリケン(ネプチューンの堀内健)に似ていると冷やかされるというが、内面はかなりの強心臓ゴルファー。今年中に2勝目、3勝目を果たす可能性も大いにありそうだ。