今年のマスターズ、アメリカでの視聴率速報では、9.1パーセント。日曜日だけで、アメリカの約700万人のゴルフファンが、テレビに釘づけとなり、インターネットにいたっては、昨年より35パーセントもアップして、マスターズのオフィシャルサイトに、1週間で1億600万のアクセスがあった。優勝したのは無名のザック・ジョンソン。一体どういうプロなのだろうか。
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「夢にも思わなかった」。ミケルソンからグリーンジャケットを着せられるジョンソン
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勝者となったジョンソンが使っていたパターのシーモア社では、マスターズ以降、注文の電話が鳴り止まないほどというから、グリーンジャケットを着た本人が一夜にしてスターとなるのも不思議ではない。
「私も私の話を聞いたことがない」などと、マスターズの翌日の人気テレビ番組の「レートショー」でジョークを飛ばしていたジョンソン。
ほとんど無名のプレーヤーが、T・ウッズやR・グーセンといった「巨人たち」を旧約聖書の「ダビデのよう」に倒したのだから、一体ジョンソンって誰? という声が、飛び交うのも無理はない。
熱心な米ツアーファンは、タイガーと同じ年齢、31歳のジョンソンが2004年のベルサウス・クラッシックで1勝をあげたのを知っているかもしれない。当時、話題となっていたのが、このベルサウスのギャラリーの中にの約10名のスポンサーが、彼の優勝を喜んだという話だ。
父親はカイロプラクターで、ジョンソン自身、「98年に大学を卒業した時はお金が全くなかった。就職しないでゴルフを続けたかった。そのためにミニツアーに出るにも、資金的な援助をしてくれる人間が必要だった」ということで、自分のキャリアに対して、一口500ドルの株を投資として売ったのだ。
そして、それを買ったのが、地元アイオア州のエルム・クレストCCのメンバーやその妻たちだった。つまり、ベンチャーキャピタルのように、プロとして賞金を獲得すれば、その一部をスポンサーに還元するという形で資金を集め、その株主たちが、ベルサウスにやってきていたことで、話題となった。
「当初は単なる投資だったが、今ではビジネスファミリーみたいになっている」とかで、さすがに、マスターズの賞金のいくらを彼らにバックするかは語らなかったが、今でも続いている関係だとか。
そうして得た資金をもとにして、米中部のミニツアー・プレイリーツアーや飲食店チェーンのフーターズツアー、そしてネーションワイドツアーに参戦。
初めて貰った優勝賞金が「2500ドルか3000ドルくらいだったと思う。02年にフーターズツアーで優勝した時には、自分の人生で、これが最高の時だと感じたくらいで、マスターズ優勝なんて夢にも思わなかった」というプレーヤーなのだ。
そして、そこで「毎年のようにゴルフがうまくなり」、ネーションワイドを主戦場にしていった。オーガスタ・ナショナルを初めて見たのは、当時のバイコムツアーで知り合ったオーガスタ出身のボーン・テーラーが、01年のマスターズのチケットを手に入れたから。
「こんなコースはミニツアーではありえない。凄いコースだと、開いた口がふさがらなかったよ」
マスターズで、優勝争いをしていたローリー・サバティーニは、「彼は素晴らしい男だ。彼もキャンピングカーを持って(ツアーを転戦していて)、いつも隣りに駐車することが多いから、自然と親しくなったが、地についた考え方をする品のある男だよ」と語っていた。
当の本人は、「アイオアの田舎で育ったごく普通の男。マスターズに勝っても、私は私で変わらない」という。
ただ、敬虔なキリスト教徒のようで、優勝インタビューで、「神に感謝する。復活祭の日曜日(マスターズ最終日)に、神が私と共に歩み、導いてくれたような気がする」と語った。
しかしこの言葉に対しては、例えば、USAトゥディ紙のブログで、「神がいるなら、1人だけに贔屓(ひいき)はしないはず。キリストは他のプレーヤーとは、共にいないのか?」などとコメントが載るくらいだから、同胞のアメリカ人には違和感があったようだ。
87年のラリー・マイズ(マスターズを含めてツアー4勝)のような「ワンジャケット・ワンダー」などということにならなければいいのだが……。
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