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週刊ゴルフダイジェスト 5/3号
2011/4/25更新

「あのスウィングプレーンは理想」
石川遼も憧れるエルスチルドレン26歳の“シュワちゃん”

 マスターズ最終日の鮮やかな逆転優勝で、一躍その名を“南アの新星”として知られるようになった26歳のシャール・シュワーツェルだが、実は20歳のときに、もう少しで日本ツアーの最年少優勝記録を塗り替えそうになったこともあった有望選手なのだ。

 シャール・シュワーツェルが欧州ツアーのQスクールを突破してプロデビューを果たしたのは、2002年、弱冠18歳のときだった。その翌年に4試合でベスト10入りする活躍でシード入りを果たし、まさに“期待の新星”として注目された。

 シュワーツェルは4歳でゴルフを始め、アーニー・エルスが設立したゴルフ基金で腕を磨いたが、当時、父親のジョージはハンディ+3の腕前でプロになる夢を持っており、弟のエイドリアンも世界ジュニアで優勝というゴルフ一家で育った。

 初シードが決まった2003年シーズン終盤、海外有力選手が参戦するダンロップフェニックスに招待され初来日。そのときは、76・76と予選通過に5打も及ばない10オーバーで決勝に進めなかった。しかし、翌2004年のカシオワールドで2度目の来日をしたときには、予選を68・67の9アンダーでトップ通過し、プロ初優勝の可能性もあったのだ。

 当時、カシオワールドは難グリーンで知られる指宿GCで開催されていたが、誰もが手こずるグリーンにもシュワーツェルは、「仕上がりがよくて、非常にスムーズに打てる」とまったく意に介さなかった。今年のマスターズで見せた抜群のパッティングセンスの片鱗を窺わせるエピソードだ。

 もしそのまま突っ走っていれば、20歳3カ月の優勝となり、それまでセベ・バレステロスが持っていた20歳7カ月の日本ツアー最年少優勝記録(1977年の日本オープン)を塗り替える快挙となるところだった。残念ながら決勝ラウンドに入ると73・71と足踏みし3位タイで終わった。

「日本のファンに僕の名前を覚えてほしい」と当時シュワーツェルは語っていたものの、以後、日本の試合には出ていない。シュワーツェルは、セベの最年少優勝記録を2007年に破った石川遼と今年のアクセンチュアマッチプレーの1回戦で対戦し、エキストラホールに入る激戦の末に破っている。

「僕が理想とするスウィングプレーンの持ち主。あのプレーンなら、どんな場面でも崩れない」とは石川のシュワーツェル評。そのスウィングとパッティングセンスをもってすれば、世界ランク1位も夢ではない。日本のゴルフファンも、きっと彼の名前を覚えたはずだ。

 
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