舛添要一都知事が「建設費削減のため東京五輪の会場計画を見直す」と発言し、ゴルフ会場も見直しの機運が一部で高まっている。
6月下旬に来日したIOC調整委員会のジョン・コーツ委員長は「施設の変更は招致の内容を変えるものではない」と理解を示した。実際、直近のロンドン五輪でも6競技で会場が変更になったように、変更自体は可能である。
さてゴルフの会場だが、現在は霞ヶ関CC(埼玉)で決定していて開催準備を着々と進めている。しかしここに来て、評論家の大宅映子氏を議長にしてジャーナリストの上杉隆氏、タケ小山らが参画した「日本ゴルフ改革会議」が、東京都が経営する若洲GLへの変更を訴えている。「霞ヶ関はパブリックでもないし選手村からも遠い。若洲は散水は工場用水、エネルギーは太陽熱のエココースで銀座にも近い。東京五輪にふさわしい」(タケ小山氏)
霞ヶ関に決定した経緯を記すと──。20年の五輪が東京に決定したのは13年9月7日。同年1月に提出した開催計画では霞ヶ関となっている。
そこに至るまでのスタートはその2年前の11年秋頃。東京都はJGAに対して会場探しを打診。会場選びの基準として、①都内、②都近接地、③東日本大震災被災地を挙げていた。その時点から若洲の名前が入っていたが、事情通によると、〝とりあえず〟の印象が強かったという。
その後、JGA、JGTO、LPGA、PGA、電通などが集まり〝選定〟会議を3~4回開催。そのなかでもやはり1番手は若洲だったようだ。しかし若洲を会場とする場合、クラブハウスの建て替え、練習場の設置、コース改造などに莫大な費用がかかり敷地も足りず、経営管理する東京都は手を挙げなかったという。
議論を揉んでいくなかで新たに出てきた条件が「選手村から50キロ範囲」「36ホール」の2項目。その条件に合致する候補地が霞ヶ関、相模原GC、横浜CC、茨城GCなど。そして国際試合の開催実績(カナダカップなど)などから霞ヶ関へと収斂されていったというわけ。霞ヶ関側からのアプローチは一切なかったという。
仮に若洲に変更すると──。先述した莫大な準備費用は税金で賄われることになる。霞ヶ関なら改造費の大半はコース側の負担。さてこの論議、どうなるやら?
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