No.455 『一途に6アイアンを打ち続けなさい』
9/8更新
闘争心の減退を感じます。
「自分でやるならゴルフ、観るならサッカーが好きなのですが、サッカー日本代表を観ていると、ゴール前でシュートを打たずにパスするなど、「闘争心」を感じません。ゴルフで日本人がメジャーになかなか勝てない理由もその「闘争心」にあるのではないかと愚考します。 私自身、30歳を目前に、10代前半のころのゴルフへの闘争心が失われつつある気がしています。塾長はどう思われますか?」
(愛知県・29歳)
自信を持てば闘争心は出る。
闘争心を構築するは技術と本能であろう。技術は高きを目指す研究心と、研究から生じた必要欲と、常日頃の遊び心から生まれるものと思うし、本能は己の中に宿るものと思う。
ただ、技術も本能も放っておけば勝手に姿を見せてくれるとゆうものでもない。基本の教育、基本の鍛錬、そして基本の教育と鍛錬の継続を必要とするものだ。
闘争心を生む土壌は幼な心に多く宿る。30歳、40歳過ぎての闘争心にはモロさ、妥協の早さが潜む。モロさ、妥協の早さは闘争心の純度低きものと思う。幼な心が知ったる闘争心には一途さが生じている。
一途さは時に大いなる力となるが、大いなる自己破壊の力を持つ。これが怖い。
一途さは純度高き闘争心を生む。ゴルフに関する限り、闘争心を生む技術と本能の鍛え様は見えて来た。それは己の身で試す。
他人の身で試すことではない。宗教人、民族人は他人の身で試す。その行為、最悪の行為であり、愚の中の愚の行為と思う。
愚にして鈍であれば世間に多くの迷惑は掛けぬものだ。耐えの気持ちを持って戴ければ愚にして鈍の者とは共存出来よう。
愚にして悪が悪い。今、世間を騒がす詐欺行為は総て愚悪悪賢から生じた悪知恵、悪欲が生みしものであろう。私も幾度が悪知恵悪欲には出合っている。
私の経験で申せば、信じている時は愚悪悪賢の姿は見えぬものであった。書類にしてみれば見えた。欧米には日本の10倍もの愚悪悪賢がはびこっている。欧米の汚れはそこにある。
だから身を守るが為の契約の世界が生まれた。それはお互いの利益を生んで守るが為の手段ともなった。日本に契約の世界は必要なかった。
仁義、道義、信頼で作られた国民性を、日本は持っていた。己の利ばかりを考える教育が跋扈し、愚悪悪賢が生まれた。日本も汚れ始めて来た。
世間は狭くなったと思う。世間の広い時、仁義、道義、信頼は世間の広さの中で泳いでいたかと思うが、狭くなって泳ぐ場が失くなりつつある様な気がして仕方ない。
閉塞感が生じて行くであろうが、それも仕方なきことか。自信を持てば闘争心は顔を出します。自信は闘争心の技、闘争の本能が顔を出す一つの手段となるは間違いなかろう。
6アイアンで打つが最善。6アイアンで打ち続けるが最善。打ちの方法はゴルフ進化論、スウィング進化論の中で述べて来ていますので、それを参考として戴ければ幸甚。
私は58歳のオッさんだが、一途なる6アイアンの日々を、と思っています。本能の鍛え様は次なる機会に述べさせて戴く。紙面、尽きました。
この「野性塾スペシャル版」は週刊GDの過去の連載からピックアップして転載したものであり、周囲の状況が現在と異なっていることが多々あります。
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