No.441 『ラウンドで疲れない長寿スウィング』
5/26更新
ラウンド後半の疲労が気になります。
今年とうとうシニア入りしました。年齢だけでなく、体力の衰えを感じています。ラウンド後半になると、ボールの曲がりが大きくなります。下半身に来ているのでしょう。自分自身で気がつかないところで、アドレスのバランスを崩しているのかもしれません。ラウンド後半に注意すべきこと、とくに下半身について教えてください。
(千葉県・50歳)
負荷のかからない仏の型を作りなさい
確かに下半身の疲労度が増すと上体の型は崩れる。この時、上体の弱い部分から崩れて行くが、右利きの方は左サイドから崩れ始めるものだ。
ゴルフスウィングとは押し合い型と押し合い力の調和と思う。両の腕の手の平を合わせ、右腕と左腕で押し合う型、その押し合う力がスウィングの原点であろう。
押し合う型、両の脇を締めてたんじゃ力が出せぬ。脇は開けた方がよい。両の腕の指と指を絡み合わせて引き合う時も両の脇、開けた方が力は出せる。他の体の部位、肩とか背中の負荷は少なくて済むはず。競技プレッシャーに強くなるには部位への過度の負荷のかからぬ型を作るが最善であり、部位への過度の負担のかかる型は競技プレッシャーに耐え難い型とはなります。
負荷負けしてはいけない。負けない為には負荷負けしないスウィング型、要するに体の動きを作るべきである。負荷負けしないためにその負荷のかかる部位を器械的トレーニングで鍛えて行くもひとつの手段なれど、それよりは負荷負けしないスウィング型を作り行く方が遥かに簡単であり、崩れ難い手段と思う。
第一にスウィング型、長寿とはなります。理論の何が必要で何が不要かを教えてくれるものだ。選択の知恵を与えるのが理論の能力と思うし、能力なき理論は寿命を持たぬものとも思う。いずれにしても型と力の調和は脇を開けた押し合いの型が最善の型と思う。
この型がスウィングの美しさを作る。美しさは部分からは崩れない。美しさの欠けたものは部分から崩れる。プロは素朴な美しさを求める。それが長寿のスウィングであり、長寿の心構えである事を知っているからだ。
貴兄は押し合いの型を作れ。仏の型である。古仏像、押し合い型で両の手を合わせている。歴史の知恵、歴史の作る型には恐るべきものがある。
ゴルフを始めて30年以上、スウィング型、スウィングリズム、飛距離の出し様、方向性の確保等を考えて来たが、古仏像から学んだものは多い。宗教に縁なく、気まま、気紛れ、勝手のやりっ放しで生きて来たが、その不届き者も旅の途中、古仏像に手を合わせて来た。如何なる宗教の像にも手を合わせた。もちろん、頭も心深く下げて来た。
ただ、気持ちの片隅にスウィング型を考えながら合わせていたのも事実。無の心で合わせた事はない。何かを想っていた。やっぱり不届き者である。
私、宗教は死したる者のためにあるのかを問うなど、青臭い人間ではない。分からない時は両方と答えればよいであろうし、右か左かと問われれば天井か地面を指す位の遊び心と反骨心は持っているつもりなれど、歴史の作る型物には恐怖覚えております。
今の人間よりも500年前の人間の方が大腹の据わった生き様をしていたのではないかと思う事を幾度も経験して来ました。知恵知識は今が上、しかし腹の据わり様は知恵知識や情報、生活環境、情操で作れるものではないような気がする。
腹の据え様は生き様か、と思う。器用も必要、不器用も必要。東西南北の中心は常に己の立つ位置。立って半畳の位置。右腕を生かすは左腕、左腕を生かすは右腕。要るは調和。
研修生時代、私は歩きながらクラブを振っていた。走りながら振っていた事もある。ゴルフ場、休みの日、クラブを振りながら18ホール走った。走りの鍛練、振りの鍛練と思いて走った。いいか、悪いかは判断の外。そうやって過ごした研修生時代であったとゆうだけ。
今、私や貴兄が人様の前でそれをやれば阿呆と思われるだろう。人ひとりいない休日のコースだから出来た事ではあった。阿呆と思われない鍛え様がひとつだけあります。
ショートスウィングでの球叩きだ。ショートスウィングで鍛えて行けばよい。苦しさに追い詰められるよりは苦しさを追い込んで行く方が格段に楽しいし、効果も上がるはず。楽しい練習とは苦しさを追い込んで行く練習を指す。ショートスウィングは追い込める練習手段と思う。単純であるが故にスウィングと体と心を鍛えて行く効果を持つ。
私の経験で申すがラウンド後半に注意すべき事は球質を追う意識を持つ事だ。結果追いは結果に振り回されるだけ。球質を追い行けば疲れのラウンドとはならないだろう。
この「野性塾スペシャル版」は週刊GDの過去の連載からピックアップして転載したものであり、周囲の状況が現在と異なっていることが多々あります。
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