週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。
パークスはニュージーランド生まれの35歳。少年時代は卓球の選手で、2度もニュージーランドチャンピオンに輝いた腕前だ。13歳からゴルフを始め、18歳のとき米国のオクラホマ大学にゴルフ奨学生として入学。オールアメリカンにも選出された。 93年にプロ転向。PGAツアーを目指したが、なかなかQスクールに通らず、ルイジアナのゴルフ場で2年間アシスタントプロとして勤務。その後、フーターズツアー(ミニツアー)やバイコムツアーで戦いながらQスクールを7回も受け続け、99年にやっと合格した。しかし、その年の賞金ランクは136位でQスクールへ逆戻りしたが、再び合格、昨年は賞金ランク113位で何とか賞金シードを保ったというレベルの選手だ。 大会前までのワールドランクは203位。メジャー出場経験ももちろんなし。TPCも初出場で、「TPCソーグラスのコースに関する知識はゼロ」だったというパークスが、どんな経緯で優勝にたどりついたのか間単に振り返ってみよう。 超高速グリーンの難コンディションのコースで、手堅くプレーしたパークスは、首位に1打差の2位で最終日を迎え最終組でプレー。この日スコアを5つ伸ばしたS・エイムスが6アンダーで先にフィニッシュし、優勝の行方は、そのエイムスとパークスの2人に絞られた。 パークスの上がり3ホールは神がかりだった。まず、16番パー5はチップインイーグル。続く有名な浮島グリーンの17番パー3では7メートルを沈めてバーディ。エイムスに2打差をつけて迎えた18番はボギーでも優勝だったが、ドライバーショットを右へ曲げ、第2打は木々の間からフェアウェイへ出すだけ。第3打はグリーンをややオーバーし、ラフの中。無名選手ゆえ、ひょっとしたらプレーオフかと思わせる場面だったが、なんと第4打を再びチップインさせてパー。エイムスに2打差をつけたまま優勝となったのだ。 この勝利はパークスにとってツアー初優勝だが、初優勝をTPCでやってのけた例は過去にない。ビッグな賞金に加えパークスが手に入れた“特典”は超豪華。5年間の米ツアーシード権、3年間のマスターズ出場権、4年間の全英オープン出場権、今年の全米オープンと全米プロ出場権。賞金ランクも一気に2位へ、ワールドランクも64位へジャンプアップした。 それにしても上がり3ホールでのパット数はわずか「1」。単なるラッキーだったのか?「チップショットはもともと得意だから自信はあった。一番緊張したのは18番の第2打。うまく出せるかどうか心配だった。でも、あれぐらい悪いライからのショットは、ミニツアーやバイコムツアーで数え切れないほどやってきた。そんな経験が実を結んだんだと思う」 喜びを噛み締めながら日曜の夜中に自宅のルイジアナへ飛び帰り、月曜はなんと500以上の電話取材に答えたというパークス。翌週のヒューストンオープンでも大勢から祝福を受け、大忙しだった。 「すべてが新しい経験で楽しい。突然マスターズに出られることになったけど、来年からは4大メジャーを考慮した日程に変えなきゃ。でも、今後も一生懸命練習を続けることに変わりない。ちょっとだけ贅沢できるようになるけど、私自身は何も変わらないよ」 それにしても、ワールドランク203位といえば、彼より上のランクの日本人選手は10人いる。そういう意味では、実力的には日本人だって夢を手にするチャンスが十分あるということを図らずも証明してくれたパークスの優勝だった。