そのゴルフ人生でマルチな才能を発揮したピーター・アリスがこの世を去った。89歳だった。
アリスは1931年、ドイツのベルリンで生まれたが、生粋のイングランド人。父、パーシーはイングランドでクラブのヘッドプロを務め、ライダーカップにも出場した名手だった。
アリスも父の後を追い、14歳で学校を辞め、16歳でプロに。研鑽を積み1954~69年、英国PGAツアー(現在の欧州ツアーの前身)で21勝。そのなかにはイタリア、スペイン、ポルトガルのナショナルオープンと3週連続勝利も含まれる。ライダーカップは8回出場。また、アリスは日本で開催されたカナダカップ(57年)にも出場し10位タイだった(優勝は日本の中村寅吉)。メジャーこそ勝っていないものの、欧州で戦績を刻んでいるのだ。
そんなアリスを襲ったのはパットイップス。38歳の時だ。マスターズに出場したアリスはオーガスタナショナルGC、アーメンコーナーの11番、パットで手が硬直し、無理やりに動かして何と4度打ち!一緒に回ったジーン・リトラーと協議した結果、スコアは「11」だった。
これを契機に競技生活から引退し、後半生のキャリア、テレビの道を歩き始める。伝説の名解説者、ヘンリー・ロングハーストを師と仰いだアリスは師同様、研ぎ澄まされた数少ない言葉を完璧なタイミングで話した。それもウィットに富んだ言葉で。ジョーク、ユーモアにも耳に心地よい“間"があった。
アリスはその解説哲学を「米国の解説はボクシングの解説みたいにしゃべりっぱなしでうるさい。実況と解説が情報を出しすぎ、ケンカをしているようだ。時には視聴者と一緒になってじっくり試合を見るべきだ。そして必要な時に必要な言葉だけ発すればいい」と。
USGA、R&Aの競技委員を務め、自身もテレビ解説者だった川田太三氏は「完璧なキングスイングリッシュでしたね。私が心に残ったのは77年の全英オープン。ワトソンとニクラスの一騎打ちを沈黙で見守り、18番、ワトソンが放ったピンそばショットに一言『エレメンタリー(初歩的なことだよ)』と発して、続けて『マイ・ディア・ワトソン……(親愛なるワトソン君)』(シャーロック・ホームズの有名な台詞)。この『エレメンタリー』という言葉にゴルフのすべてが詰まっていると感じました」
プレーヤー、解説者としてそれぞれ光芒を放ったアリス。殿堂入りも果たした。合掌
(編集委員 古川正則)
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