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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 5/21号
2002年更新
栄光の後に訪れた長いトンネルを抜け
再春館レディースでト阿玉が9年ぶりV
 1980年代、トーナメント最終日には必ずと言っていいほどピンクのウェアに身を包み、颯爽と優勝をさらっていった“ピンクパンサー”ト阿玉が、今季国内女子ツアー第3戦、再春館レディースで9年ぶりの復活優勝を遂げた。あまりに久しぶりの名前に、驚きの声を上げたゴルフファンも多いはずだ。

 82、83年、86年にツアー史上最多の年間9勝を3度記録、その間の5シーズンだけで計41勝をあげるほどの驚異的な強さを誇っていた彼女が勝てなくなったのは94年から。この10年のトは痛みに泣き、自分の身体を思うように動かせないもどかしさと常に闘う毎日を送ってきた。

 92年のシーズン終盤に端を発した股関節の違和感、右大腿部付け根の痛みは悪化の一途をたどり、翌93年6月のサントリーレディスで、ついに棄権。90年から92年にかけては連続予選通過66試合という記録(ツアー制度施行後2001年まで。今季不動裕理がすでに70試合に到達)も打ち立てたほどの彼女が翌々週から2週連続の予選落ちを喫し、ツアー半ばにして自国・台湾に戻った。

「一時は緩やかな斜面を上ることも足を上げることもできなかった。いったん試合に戻ったけど、5、6ホール歩くともうおかしい。これはもうダメだと思った」。

 選手生命の危機だった。これを救ったのは、なんと李登輝前総統。当時台湾ナショナルチームのエースだった黄玉珍をつてに“国家的プレーヤー”のトへ、直々に電話がかかってきた。

「私がいい人に頼んであげましょう」と紹介されたのは、武術の達人でもある指圧師の黄氏。「自分の力で治す運動療法で、今までの7年間に指導された体操の種類は50~60種類」という。「指圧と体操で一日2時間くらい。それで日に日によくなった」と本人。95年のツアー本格復帰後も、毎日30~40分の体操に取り組み、完治させた。

 99年1月のアジアサーキット・中華民国レディスオープンで久しぶりの優勝。しかし、それでも「自分のボールが打てない」歯痒さから開放されてはいなかったようだ。

「身体がホントによくなるまで、丸5年かかった。それからスウィングも一から作り直した」

 00年、賞金ランクもシード圏内の34位に戻したが、昨年は50位。もちろん永久シードを有し、生涯獲得賞金総額は7億円、経済的な不安こそ訪れなかったが「周りのみんなに迷惑をかけてる」と、所属契約先のミズノ関係者に自ら契約打ち切りの話を持ちかけたことすらあった。

 が、同社関係者をはじめ、台湾の要人、後輩ら、多くの人間に励まされ「みんなが期待してくれてる……。だからまだ一生懸命頑張ります。絶対優勝! とか、そんなガムシャラな気持ちが自分の中にあるわけじゃないけど、みんなの気持ちになんとか応えたい」と話す昨今だった。

 再春館レディースの優勝インタビューの中では「今の身体は年齢的な部分を除けば、故障以前よりいい筋肉がついていると思う。それにクラブも年々よくなって、飛距離も若い選手にそう遅れずにプレーできてる。恵まれた環境なんだから、自分も努力して……」

 今季は次のチャンスも見据えているト。優勝日は「久しぶりにもらったピンクのウェアが嬉しくて、本当は先週の試合に持って行って着るつもりでいたんです。それが途中棄権しちゃったでしょ。だから熊本の最終日はコレって、最初から決めてたの」と、全盛期を彷彿とさせる全身ピンクの出で立ち。

「久しぶりの優勝……最高です。なんか“新しいノ子”(新人選手の意)みたいな気持ち」と照れたが、樋口久子の国内最多勝72にあと1と迫るツアー通算71勝目は、グリーンサイドの多くの人間たちをもらい泣きさせるほどの感動的なVとなった。

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