週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。
中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン最終日、久しぶりにシンの姿をテレビ画面で観たという方も多かったのではないだろうか。スタート時点ではトップを走っていた大山志保と4打差の5位タイ、2週連続Vを狙った好調・久保樹乃が1打差2位につけていたこともあり、周囲のほとんどはシンを優勝候補には挙げていなかった。自らは同大会で予選落ちを喫したが、シンの様子見に現れ、シンのプレーについて歩いていた師匠のク・オッキさえ「前半のハーフを見て、上がろうと思ってたんですよ」と言ったほど。 それが、随所で小気味いいショットを決め、「今週はいい感じだった」というパッティングを活かし、6バーディ、1ボギーのベストスコア67をマーク、あっさりと悲願のツアー2勝目をさらってしまったのだ。 「(日韓共催の)ワールドカップの年だし、今年は頑張りたいと思ってた」というシン。6年前の初優勝も、ちょうど5月の終わり、しかも最終日を首位と4打差でスタートしての逆転勝利だった。シンは「実は今朝『あのときと同じだ。チャンスが来ているのかも』と思った」という。結果は最終日67、最終ホールはバーディで逆転と前回と同一要素が多いVとなった。初V時は前週のトーナメント中に腸炎と風邪に冒され、食べ物も喉を通らないという状況での闘いだったが、それを境に、順風満帆に見えていたシンのプロ生活は故障との闘いの日々に変わっている。 97年6月の日本女子オープン期間中には「シャワー中に突然上半身が動かなくなって」と首の異常が発覚。「シード確保を決めるまでは」と試合に出続けたことが仇となり、同10月に頚椎ヘルニアの診断を受けた。結局3シーズン守っていたシード権も逸するハメに。 翌98年、すぐにシードを奪回したが、99年はシーズンオフ1月の米国合宿中に体をカートに挟まれ右膝を打撲、2カ月間の松葉杖生活を余儀なくされるアクシデントに見舞われた。さらに昨年は開幕間もない4月を境にメヌエル病(自律神経系の疾病)に悩まされ、めまいを感じながらのラウンドが続く辛いシーズンを送っている。 毎年のように繰り返された故障。今年も「3年前に怪我した右足をトレーニングでまた痛めて……」開幕から前週までの6試合で予選通過はわずか1試合というドン底だった。 「もう運動選手を辞めなければいけないんじゃないか、と考えたときもありました」とシン。しかし、現在は衣食住をともにする師、ク・オッキに「足が痛くても、プロだからそれは言い訳にはならない。それにソーラは不幸なんかじゃない。恵まれてるよ。だから優勝だけ目指してやればいい」と励まされたことが2勝目につながったという。 そのクは、結局、シンの最終日18ホールの一部始終を見守ることに。痛む足をかばい、プレー後の練習もできなかったこの週。シンのゴルフを支え、優勝に導いたのは、師匠の愛情と「せめてそれだけはと、一生懸命練習した」パッティングの成果だったようだ。