週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。
というのも、この試合がジュリアンにとって、生きている間の最後のレギュラーツアーの試合になる可能性が高いからだ。昨年、ルー・ゲーリック症と診断されたジュリアン(40)は、キヤノンGHOで、今年の招待出場の枠7試合をすべて消化し、少なくとも今年は、もうレギュラーツアーに出場できない。本人は、10月のQスクールに再度挑戦する意欲を見せてはいるものの、体力は弱り、Qスクールに合格する可能性は低いし、たとえ合格したとしても、いつまでゴルフを続けられるかわからないからだ。というのも、ルー・ゲーリック症はよほどの例外を除いて、2年から5年の命とされているからだ。 「私はプロゴルファーで、ゴルフを愛している。ほかに何をすればいいんだ? 確かに深刻になって考え込むこともあったが、それも1時間か2時間だけ。『さあ、先に進もう』と、私は自分に言い聞かせるんだ」と、ジュリアンはプレーを続けていた。 といっても、95年にレギュラーツアーでプレーしたものの、大半はバイコムツアーで過ごしていた。バーモント州出身の初のPGAツアー選手として、地区競技のニューイングランドオープンに優勝するなど、地元ではかなり知られた存在で、好条件でのクラブプロへの誘いもかなりあったが、それを断り、ツアープロを続けていた。しかし、昨年のQスクールでは、バイコムツアーにも残れず、今年はスポンサーに手紙を書いて、招待を受けてプレーを続けていた。今年のメモリアルでは、ホストのJ・二クラスがジュリアンの話に感動し、招待をするばかりか試合で一緒にラウンドするという温かいニュースもあったが、推薦出場は年間7試合までというツアー規定で、キヤノンGHOが今年最後の試合になってしまったのだ。 もちろん、衰え始めている筋肉のために、今年のこれまでの試合ではショットが安定せず、初日にいいスコアを出せても、2日目まで体力が持たないなどもたびたびだったが、試合に出たいという熱意で、招待を願う手紙をスポンサーに書き出場し続けていたのだ。 「ルー・ゲーリック症は、運動選手に多い病気ということで、過激な運動はあまりすすめられない。でも、私たちは意思の力が、すべてを上回ると感じている。それに彼はゴルフを愛していてゴルフ中毒みたいなもの、私には彼を止められない」(キム・ジュリアン夫人)ということで、彼は体力が続く限り、ツアーでプレーをしていたのだ。 「もう、この状況にも慣れ始めた。自分の役割や運命も、受け入れ始めていると思う。スポンサーなど人々が助けてくれるおかげで、家に閉じこもるようなことはなくなっている」 キヤノンGHOの後は筋萎縮症の研究基金のためのトーナメントを主催し、自ら出場する予定だという。 たしかに彼が出場することでツアー出場枠がひとつ減り、若手が出場するチャンスを失う可能性もあるだろう。しかし、金や勝敗ばかりが話題に上る昨今の米ツアーの中で、純粋に試合に出たいというジュリアンの願いは、ゴルフに対する情熱をかきたてられるものを感じる。