週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。
「うれしいです! とってもとってもうれしいです」。 プロ入り4年、ゴルフを始めて7年目の初優勝に高木は素直に喜びを表した。 国際的な舞台で首位に1打ビハインドでの最終組。出だし2ホールでバーディを奪い、展開は有利になったが、これで逆に緊張はピークに達した。「周りからのプレッシャーでつぶされそうでした」(高木)。 だが、3番のボギーで肩の力が抜けた。「ボギーを打った瞬間に緊張感が解けて、いつもどおりゴルフしようと思った」と、ここから気楽にプレーして、6バーディー、1ボギーの67。通算5アンダーで2位に4打差、堂々たる優勝だった。 中学、高校とソフトボール部に所属。キャッチャーとして活躍したが「とくに強い高校でもなく、ただの部活。実業団? そんなレベルじゃありません」とごく普通に高校を卒業した。進路を考えたとき「デスクワークはできないと思った。それで、お金(給料)がいいし、体を動かす仕事だから」と大阪・聖丘CCでキャディとして働き始める。 だが、この頃はまだプロを目指していたわけではない。「就職って言うよりアルバイトみたいな感じ」がしばらく続いたが、95年、そんな日常を吹き飛ばす衝撃的な出来事が起こった。 同じコースに所属していた岩川幸子がプロに合格したのだ。「すごい! 岩川さんすごい、と思って何だか感激しちゃって」と大きな影響を受けてゴルフに目覚めた。その後、プロを目指してゴルフを始め、わずか3年目の96年に早々とプロ合格を果たした。 しかし、プロ入りしたものの、ツアーにはなかなか出場できず、予選通過は2000年の大王製紙エリエールレディス(49位タイ)だけと、成績はパッとしないままだった。 そこで、昨年春に一念発起。ゴルフに専念したい、と所属コースから離れ、本誌でお馴じみの高松志門のレッスンを受け、スウィング改造に取り組んだ。さらに東南アジアで開催される同サーキットに初出場。予選落ちした翌週のこの試合で見事初優勝の快挙を成し遂げた。 同サーキットは日本、欧州、米国、豪州などの各ツアーから若手、ベテランが腕を磨きにやってくる登竜門的な存在だ。87年マレーシアレディスに優勝し、その後、日本で2度も賞金女王になった塩谷育代のように、このアジアでの経験を足がかりに大きく育った選手も多い。 「まずコツコツと頑張って早く(日本の)公式トーナメントに優勝したい。将来? ゴルフを始めたのが遅かったこともあるし、目標はやっぱり大きく持ちたいです。そのためにはもっともっといろんな人とラウンドしないと。海外の人や先輩達、ほんとにいろんな人とプレーしてみたい。チャンスがあればいろんな国に出て行きたい」と海外挑戦にも意欲的な高木。 今季の国内ツアーでの出場順位は46位と今ひとつのため、出られる試合は限られるが、その中で結果を出す事を目指している。インドネシアでのタイトルを手土産に、帰国後、ツアー優勝に向けて練習に励む心積もりでいる。