週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。
昨年、実兄・常幸が復活、ゴルフ界を盛り上げたが、その兄が太平洋マスターズで優勝した週、恵利華は都内の国立がんセンターに入院中だった。 「子宮ガンでした。いま思えば、6月くらいに、体がすごくだるい、腰が重いとか不調はあったんです。でもただ体が重いという感覚でしかなかった。9月になり、出産後、ゴルフを再開しようと体を動かし始めたときに、出血や腹痛など異変があって病院に行ったら、ガンだとわかったんです」(中島)。 検査を重ねた結果、症例として大変珍しい「神経内分泌腫瘍」であることが発覚。自宅近くの大学病院から、ガン治療専門の同センターに転院、患部の摘出手術を受けた。 「11月14日、広汎子宮全摘出術という7時間の大手術で、2000CCの輸血をしました。子宮卵巣とリンパ節を38個取ったそうです」。 術後5週間は痛みで眠ることさえできなかったとか。 「最初に病名を言われたときは、きつねにつままれたような、誰のこといってるのかな? みたいな感覚でしたね。自分は一生大病する人間じゃないと思ってましたし。ただ、ちょうどゴルフをはじめよう、復帰したい、との思いが強くなった時期の宣告でしたから、入院中は“絶対治してツアー復帰するんだ”と頑張りました」という中島。 一昨年8月、姪の佳乃さん(常幸の長女)が出場したヴァーナルオープンを観戦し「ゴルフ場の空気とか、ショットしたときの音とか、懐かしいだけでなく、やりたい気持ちがムクムクと湧いてきた」のが復帰への思いの始まりだった。 「子供が成長し、まあシニアの年齢になるくらいまでに、どんな形でかクラブは握りたいなとは思ってたんですけどね」 主治医は、「回復後も仕事は無理でしょう。後遺症が出るので、スポーツ選手としては厳しい」と話したという。 「でも、ガンになる前に思っていた目標を諦めるのがどうしてもイヤだったんです。病気のせいでできなくなるのを認めたくない。夢を諦めたら、もう生きてる価値がない、くらいに思った。病気が発覚する前よりも、自分で夢を持って生きたい、という思いが強くなりました」 術後3日目、兄・常幸が太平洋マスターズで優勝、ウィニングボールを持って病室を訪れてくれた。その後、激しい痛みから開放されると驚異的な回復を見せ、年末年始には家族とスキー旅行に行ったほど。そして、今年4月の次女の幼稚園入院を待ち、念願のクラブを手に。 「9年間、ラウンドはおろか、クラブさえ握ったことなかったので、最初は“お箸を左手で持って食べた”って感じ(笑)。でも、“割とうまく食べられた”みたいな。ハーフだけ回ったら39でした」 約10年ぶりのゴルフだけに、ドライバーのヘッドの大きさや用具の進化にも驚いた中島。現在は「週3~5回の練習場通いと、週1度ラウンドのペースでやってます。ラウンドの日は朝3時に起きて、子供のお弁当を作り、朝食や学校、幼稚園に出発する用意を整え、早い時間のスタートでスループレー。夕方の幼稚園のお迎え時間に間に合うように戻って、その後は買い物、夕食の準備、子供の世話……10時、11時になってストレッチ等をして布団に入るって感じですね」“超”のつくハードスケジュールにも、中島は笑顔を見せる。 出場する日本女子オープン予選は8月5日(神奈川・戸塚CC東)に行われる。 「遠くに目標を設定するより、たとえ結果がでなくても、ちょっと近すぎるくらいに目標を置いたほうがいいと思い、申し込みました」と中島。現在は「体調もバッチリ」だそうで、順調に行けば、秋口にも推せんでツアー出場、さらには来年の出場権を賭けて、QT挑戦も視野に入れている。スター不在の人気低迷を嘆く国内女子ツアーでは明るい話題になりそうだ。