週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。
今井は2浪して入った大学1年のときに留年が決定したのをきっかけに「2浪1留じゃ、まともに就職なんてできない」と早々に中退、プロゴルファーを目指す。4年間の米国ゴルフ留学の後に帰国し、PGAのプロテストを受けるも4回の不合格。しかし、プロテストに受からなくても実力があればツアーの出場権利が得られるという、99年から始まった日本ゴルフツアー機構(JGTO)の新制度、QTを通過し、00年からツアーに参戦。その年の賞金ランクで翌年のシード権が確定した今井は“無資格プロ”のシード選手第1号として話題となった。今回の優勝は、初日から4日間首位を守る完全優勝、しかも大会記録タイの24アンダーの爆発ぶり。自らつけたあだ名も「ラ・ボンバ」(敬愛するアルペンスキーヤーのトンバの愛称で『爆弾男』の意)。そんな今井の初優勝の感想は。 ------初優勝の予感はあった? 「あるわけないすよ。だって前週のフェニックスは20オーバーで65位の最下位でしたから。でも、最終日に83を叩いて『もうやったれ』という開き直りでカシオに臨めたのがかえってよかったのかもしれないっすね」 ------4日間首位の完全優勝。 「初日に7アンダー出したときはとにかくラウンドが楽しかったけど、2日目は少しプレッシャーはあったかな。初日トップで2日目ぎりぎりで予選通過じゃカッコ悪いですからね」 ------ずいぶん弱気ですね。 「いや、だって皆そう思ってたでしょう。テレビ解説でも『このまま行くっていうことは考えにくい』って言ってたし」 ------ふざけるな、って感じ? 「いや、それももっともだなって思いました。もちろん、その通りにはいかせたくないという気持ちはありましたけどね」 ------最終日の前の晩は。 「正直言ってあまり寝られなかった。文字を読むと眠くなると思ったから『週刊プロレス』を読んだけど、1時過ぎまで寝付けなかったです。で、最終日は朝からもう半シビレ状態で、風呂場で弱気になって『今日はダメだなこれは』って大騒ぎしていたら、トミー(中嶋常幸)さんに、『おまえ、こういう緊張感を味わいたいからプロになったんだろう。それを今やっと味わえるんだから、しっかりやれ』と言われた。これは効いた。よし、やってやるよ! みたいな。実はその週に鹿児島入りする直前にTV番組でテニスの松岡修造さんが自分の松岡塾の塾生で、才能があるのにそれを出しきれていない子供に『自分に壁を作るな!』って、熱く語る場面があったの。アレ見て、もう涙出そうになっちゃって、子供だけじゃなく見ている俺の心も動いた。あれもよかった」 ------最終日も攻めた。 「いや、攻めたというより逃げた。でも守りに入らなかったのがよかったと思う。アソコは守ったらダメなコースだから」 ------優勝直後の感激は? 「友達の小林(正則)に抱きしめられたときはウルっときましたけどね。でも18番ホールの横に池が無かったのが口惜しかったっす。川原希さんが(東海クラシックで)優勝したときに池に放り込まれたのを見て、自分もアレやりたかった。最初で最後の優勝かもしれないのに」 ------『肝臓壊すほど芋焼酎飲む』って言ってましたが。 「あれは鹿児島県民を喜ばせるために言ったこと。地元(千葉)に帰ってから仲間40人と祝ったけど、ビール2杯で眠くなっちゃって」 ------今年から賞金シード選手は、プロテストを受けなくても申請すればPGAの資格が与えられることになったが……。 「もらおうと思います。母親も『そういうのに頓着しないのがお前の売りじゃないのかい』って言うんですけどね」 ------プロライセンス持たない選手ではシード権獲得も優勝も第1号。JGTO体制のお陰? 「そうでしょうね。でも俺は受けた恩はすぐ忘れるタイプなので(笑)」