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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。 内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。 |
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週刊ゴルフダイジェスト 3/16号 |
2004年更新 |
ミズノとの契約終了、江連コーチのもとで
スウィング全面改造、心機一転の福嶋を直撃
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今年で米ツアー6年目の福嶋晃子。常駐参戦1年目の99年には2勝を挙げ、その年15位だった賞金ランクも、翌年からはジリ貧状態に。途中、足指骨折や肋軟骨痛など故障にも見舞われ、昨年も国内ツアーでこそNEC軽井沢72で2連覇を果たしたものの、96、97年に2年連続賞金女王に輝いた頃の元気はまだ戻らぬまま。そんな福嶋が今オフ、大規模なスウィング改造に臨み、さらに10年近く続けてきた用具用品の契約にピリオドを打った。スウィングの改良点は? 契約問題の真相は? 今週末6日の渡米を前に、福嶋が赤裸々に語ってくれた。
------今年は年明け早々から丸2カ月間、兵庫に“山ごもり”してトレーニングとスウィング改造を行なったそうですが、身辺にもいろいろ変化があったんですね。まずは用品契約のお話から伺いたいのですが。
「はい。昨年まで9年間、かな。クラブやキャディバッグ、ウェアなど総合契約を結んできたミズノとの契約を終えました。その後、ボールとシューズに関してナイキと契約。ウェアはオリジナルのものを作って着ることにしました」
------長年の契約がストップした理由は何だったのですか?
「一番の引き金になったのは、シューズの問題でした。一昨年のシーズン半ばに右足親指を骨折したこともあったのですが、実はそれ以前から足底筋膜炎という持病を持っていて……注射を打ってもらったりした時期もあったんです。それで毎日のように違うスパイクを履いてみたりしたんですが、去年はとくに開幕時点から痛くてダメで……。足の裏、とくに右足が痛くて、痛み止めを飲んで試合をしていた時もありました」
------いろいろ試しても、合うシューズが見つからなかった、と。
「そうですね。それでとにかく靴の契約をフリーにしたくて。で、そうなると、以前から思っていた“オリジナルのウェアが作りたい”という気持ちも強くなり、さらには『なにしろ全部ゼロから始めたい』と思っちゃった(笑)」
------ナイキとの出会いは?
「去年の9月の終わりに、オレゴン州ポートランドでの試合があったんですが、そこがナイキの本社がある土地で、トーナメントの練習場ボールがナイキ製だったんです。で、とくに気にも留めず打ちだしたら『アレ?なんかこれ、いいボールだなぁ』と思って。ボールに関してはどことも契約してませんでしたから、シーズン終了と同時に試して決めました」
------スパイクのほうも?
「ええ。ボールといっしょに試してみたら、ひとつ気に入ったものがあったので。アメリカの会社ですから、向こうでのサポート体制も整ってますしね」
------クラブに関しては、今季は何を使うんですか?
「今のところ、すべてミズノのままです。ドライバーは300SIIのままですし、アイアンはS30からMP27というシリーズに換えましたけど。ナイキや他メーカーのクラブも試してはみましたが、やっぱり開幕には間に合わせられないし。ミズノの、とくにアイアンは気に入ってるんですよ、すごく」
------ウェアも出来上がっているんですか?
「開幕戦で着るものは出来てきました。デザイナーさんをつけて、普通の洋服屋さんで作ってもらってます。今までのイメージより少しカワイイ感じかな」
------何かこだわった部分は?
「所属のNECのロゴを、去年までは肩にワッペンで付けるだけだったんですが、私、前からそれをウェア自体の模様のようにしてみたかったんですよ。スピードスケートの清水(宏保)さんのウェアを見たときに、肩から腕にかけてNECが入ってて、ちょっと真似したかった」
------今後はブランド名を付けて売り出す計画もあるんですか?
「そうですね。将来的にはキャディバッグなども含めて市販も考えてます。私、桜が好きだから、今回の春物は桜を入れましたが、季節ごとの花をテーマにするのもいいかなぁ、なんて考えもあります」
「オーバースウィングも昔ほどではなくなりました」
------スウィング改造についても詳しくお聞きしたいのですが。
「本格的に取り組み始めたのは、昨年の10月からです。コーチの江連(忠)さんと相談して、このシーズンオフはビッチリ2カ月間、六甲で練習しました。とりあえず今回計画していた分の改造は無事終わりました」
------どう変わったのですか?
「自分自身の感覚としては、今までのものはほとんど残ってないです。もう正反対ですよ。去年まではわざと曲げて入れてもらってたグリップも、今はまっすぐに入ってますし。それがもう普通に打ててますよ(笑)。まずアドレスから変わったし、クラブの上げ方も、下ろし方も、体の使い方からして全部変わりました」
------具体的には?
「グリップはスクエアになりました。アドレスは、以前はどちらかというと右のほうが高くなっていた肘の位置が、左右同じか、右がやや下になるくらいに。だからスウィング軌道もまったく変わって、トップオブスウィングを飛球線後方から見たとき、以前は左腕で隠れてしまっていた顔が、だいぶ見えてきてます。昔ほどオーバースウィングじゃないですし、腕が上がってから右肘が浮くクセも消えつつあります」
------改造の狙いと、現在のところの成果は?
「賞金女王になる前くらいから思っていたんですが『体に負担のかからないスウィングをしたい』というのが一番の思いです。何度か自分ひとりで取り組んではみたけど、ちょっと進んではまた逆戻りしてたんですよね。成果? う~ん、まだ実戦でどうなるかわからないからなぁ……でもアイアンの飛距離が伸びた、というか戻りましたね」
------それほど飛ばなくなっていたんですか?
「賞金女王時代と比べたら、ひどい時で番手にして1クラブ半くらい落ちてましたね。しんどかったですよ、それでシーズンを乗り越えるのは」
------やはり飛距離は福嶋さんの一番の持ち味ですしね。
「そうですねぇ。パー5での2オンやイーグルの数がかなり減ってしまってたと思います」
------江連プロとは昨年の4月に武富士クラシックの会場で出会って、8月から本格的な指導を受けるようになったということですよね。今後のサポート体制は?
「最初は、米ツアーにいるときに診てもらえない、という部分で契約に踏み切れなかったんですが、その後いろいろ話し合いをして、今回の1、2月のキャンプでのスウィング改造になりました。3月以降は、日本に帰国したときと、アメリカにいるときにはパソコンでスウィングのビデオなどを送ってチェックしてもらったり、電話で相談したりしていくつもりです。」
------最後に、2004年に向けての抱負を。
「江連さんと『今年は30歳にしてルーキーだ』なんて話してるんですけど(笑)本当に何もかも新しい年になりました。すぐに結果は出ないと思うけど、絶対に我慢してやりたいと思います。なんてったって、自分の感覚としては、1月のキャンプイン当時は『今まで右利きでしたけど、今年は左利きで行きま~す!』っていうくらいの感じだったんですから」
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