週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。
大会2日目にホールインワンと4連続バーディを含む65を出し、前日の44位から一気に2位に浮上。最終日も堂々67で回り、大会記録の通算10アンダーで優勝した斉藤。その快挙には、女子プロたちも目を丸くした。 テレビ解説の森口祐子の口からも「斉藤さんには申し訳ないですが、彼女がこういう状況で18番ホールを迎えるとは、まったく予想できませんでした」という台詞が出たほど。なぜなら、一昨年までの斉藤はどう見ても優勝とは縁遠い選手にしか映らなかったから。プロ5年目の94年から3年間シードを確保しながら、当時はなんとか小技の粘りでスコアをまとめるプレースタイル。研修生時代にも「いつも気がつくと“さり気なく”いいスコアで上がっている」と『サリーちゃん』のニックネームがつけられていたのだ。 そんな斉藤が昨年終わりのQTから、まるで自らに魔法をかけたかのように変身。きっかけは一昨年12月に東京で行なわれたある講演会。来日したピア・ニールソン(小社刊『54ビジョン』でおなじみA・ソレンスタムらを育てた名コーチ)の2時間ほどの講演を聞き「これだ! と思ったんです。もう一目惚れって感じですね。“どうしてもこの人に教えてもらいたい”と、すぐにメール攻勢しました」という。所属の印刷会社の翻訳スタッフの手を借り、英語のメールを作成、押しかけ弟子入りを果たした。 「年明けに渡米して、ピアの本拠地・アリゾナ州フェニックスでレッスンを受けました。2月からの3カ月間と、その後1カ月。今年も開幕前後に計1カ月半」。その成果で「まずクラブを力強く振るスウィングができるようになったし、練習方法も変わり、ゴルフに対する気持ちもアグレッシブになりました」と、飛距離は20ヤードもアップ、誰の目にも見違える斉藤に生まれ変わっていたのだった。 優勝決定の瞬間は「うれしすぎると涙も出ないんですね」と、平然としていた斉藤。しかし「私と何の関係もない人が『おめでとう』と心から喜んでくれてるのを感じたら、感激して」と、数分後からは幾度となく涙がこぼれ落ちた。優勝記者会見でも「ゴルフをやっててよかったなと思いました。シード落ちして、何をやってもうまくいかなくて、やめちゃおうかなと思った時期もありました」と、また涙ぐんだ。 当日は最寄り駅近くでレンタカーを返し、ひとり名古屋駅まで地下鉄に乗ったという斉藤。 「興奮のままに携帯でメールを打っていたら、乗り過ごした気になって電車を降りたら、まだ乗換駅の3つも手前の駅でした(笑)」というオチまでつけて、記念すべき初勝利の日を締めくくったそうだ。 「サリーちゃんが勝ったのなら」……そんな声があちらこちらから聞こえる優勝翌週の試合会場。“藍ちゃん効果”がギャラリーを集めるなら、“サリーちゃん効果”は女子ツアーを内側から活性化するかもしれない。