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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。 内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。 |
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週刊ゴルフダイジェスト 7/13号 |
2004年更新 |
最終日3イーグル出して優勝したチャンド
飛距離よりショートゲーム重視の練習が奏功
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マンダムルシードよみうりオープンは、最終日に3イーグルの記録を作ったフィジー出身のディネッシュ・チャンドが3年ぶりの優勝を飾った。
この1ラウンド3イーグルの記録は、86年ダンロップ国際1Rのジム・ラトリッジ(茨城GC東Cの1番・9番・18番パー5)、94年フィランスロピー2Rの西川哲(ゴールデンバレーGCの7番・18番パー5、10番パー4)、97年宇部興産オープン1Rの稲垣太成(宇部CC万年池西Cの9番・11番・15番パー5)に続く、ツアー史上4人目の快挙だった。
周囲をアッと驚かすド派手なプレーぶりは以前のままだが、今回の復活優勝は、実は“ニュー・チャンド”のお披露目式でもあった。
フィジーでキャディのアルバイトをしていたときに知り合ったビジェイ・シンに憧れて、母国を飛び出し、「まずは日本のプロを目指そう」と20歳のとき単身来日。98年にデビューを果たした当時、チャンドの最大のウリは圧倒的な飛距離だった。その豪打はハンパでなく、ある大会のパー4でティショットをグリーンの、さらに奥の茶店に打ち込んで他選手をあ然とさせた逸話もある。98年から2年連続ドライビングディスタンス1位にも輝いている。そんな彼が「飛距離封印」を口にし始めたのは、シード復帰を果たした01年のマンシングウェアオープンKSBカップ以降だった。
前年00年途中に過剰な練習のせいで、あばら骨を疲労骨折。ツアーの出場権さえ失くしたドン底の時期を乗り越えて、翌年の同大会でツアー2勝目を挙げた直後から、チャンドはコントロールショットの重要性に目を向けるようになった。
きっかけは、師匠・ビジェイからのこんな忠告からだ。
「お前、飛ばすことに随分得意になっているようだけどそれでいくつバーディが獲れるっていうんだい?」
弟子を思えばこその苦言は、01年に初出場を果たした全英オープン、さらにビジェイとペアで出場した01、02年のワールドカップでいっそう、骨身に染みることになる。
「どこを見回しても、僕みたいなゴルフをしている選手は誰もいなかった。飛ばすことより、皆、着実にフェアウェイを捉えることに心を砕いたゴルフをしていた。それまで僕は、飛ばすことがただ楽しかった。でも、世界でやっていくためには、それだけじゃいけないってことを、初めて痛感させられたんだ」
さらに昨年は、ギャラリーとして初めて訪れたマスターズで、一流と呼ばれる選手ほど、アプローチとパットの練習に時間を割いていることも分かった。
「アプローチとパットだけでも皆、軽く1、2時間は費やしている。とにかく、誰もがよく練習する。僕ももっと頑張らないと、という気にさせられた」と、帰国後はショートゲームの練習により熱心に取り組んだ。
その成果は、数字が証明している。00年を境に、ドライビングディスタンスのランクが徐々に下がり始めているのと逆に、そのほかプレーの安定性を示す部門別ランキングが全体に底上げされており、とくに今年はパーオン率1位、フェアウェイキープ率の4位が光っている(6月20日現在)。
今回、3年ぶりのツアー3勝目を飾る前週のオープンウィークには、研修生時代をすごした長野県・サニーCCのクラブハウスに“山篭り”よろしく、たった一人で泊り込み、早朝から日暮れまでひたすら練習の日々を過ごしている。
「朝5時に起きて、アプローチとパター練習。プロになる前は、それが僕の1日の始まりだったんだ。そうやって原点に立ち返ったことが、今回、僕に不思議な力を与えてくれたんだと思う」と、本人も言うとおり、最終日の7番パー4で79ヤードの第2打をチップイン。11番パー4で、手前10ヤードのバンカーからこれまたチップイン。そして最終ホールのパー5は、本人も「まさか、入るとは思わなかった」という右10メートルのイーグルパットが、ド真ん中から吸い込まれていった。1ラウンド3イーグルの快挙達成は、ここ数年間の努力の日々が花開いた結果だった。
昨年、観戦したマスターズで「ここは、観て歩く場所じゃない。プレーする場所だと気がついた」と、振り返るチャンド。オーガスタで選手としてプレーすることは、さらに究極の夢だ。
会うたびに「お前も、とにかく早くアメリカに来い」とハッパをかけられるビジェイの背中を追って、チャンドの世界への挑戦は続く。
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