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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。 内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。 |
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週刊ゴルフダイジェスト 9/14 |
2004年更新 |
シニア3戦目で初Vの横島由一、これで
賞金ランク1位となるも「複雑な気持ち」
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先のファンケルシニアで、シニアツアー3戦目にして、早くも初Vを飾った横島由一。これで獲得賞金も2190万円で賞金ランクもトップに躍り出た。残り2戦となった今季のシニアツアーには意欲的かと思いきや、意外にもその心境は複雑だと打ち明ける。一体なぜ?
レギュラーツアー時代、ツアー通算6勝を上げる実力者で、穏やかな人柄。そして当時、まだ少なかった若い女性ファンも多かった横島だが、病気や年齢もあり、40代半ばから悩みを抱えていたという。
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ブレザー姿もよく似合う |
99年に現役を引退、JGTO(日本ゴルフツアー機構)のスタッフとして働くことを決意、協力競技委員を経て競技ディレクターとして3年間裏方に徹した。その後、03年1月には太平洋クラブ&アソシエイツ美野里コースの支配人に就任。2年目の今年、周囲の勧めもあり52歳にしてシニアツアーにデビューした。初戦いきなり6位、2戦目が2位、そして3戦目で優勝。順調な歩みを見せているように見えるが、本業と決意している支配人業との間に揺れる本音はそう簡単ではない。
------初優勝の心境は?
「複雑でした。優勝できればいいとは思ってましたが、支配人としての立場上、二足のわらじになってしまいますから。不安もありましたし、勝たなきゃならないという気持ちとが絡み合ってた」
------支配人が本業だから?
「(試合に出ることで)この仕事をダメにしたくなかった。支配人として、クラブ運営に携わるのは夢に見てたことだし、好きなこと。せっかくそのチャンスをもらったのに裏切りたくないと。(レギュラーツアーを)引退したときに、シニアではやるまいと思っていましたし」
------それが試合に?
「だんだんメンバーさんたちと話すようになってきて、お客様の要望などもあったんです。それで、昨年暮れに会社と相談したところ『2つ、3つ出てみたら』と言ってくれて」
------で、成績は予想以上?
「たまたま最初のキャッスルヒルが6位で次のアデランスウエルネスも2位。周りの眼も、自分の眼も、これなら勝てるかもしれないと思い始めた。でも、試合への取り組み方や練習量などがまだまだだし、こんな結果は予想もできなかった。これほどエネルギーが出せるとも思ってなかったしね」
------久々の試合は?
「ショットが生き生きしてる、というのが第一印象。現役を離れてリフレッシュし、集中してた。新人みたいにドキドキして緊張し、1球1球大事にやれた。ただ、ゴルフがつながらないですけど(苦笑)」
------ツアー選手から裏方、そして支配人と転身したが……。
「JGTOに行かなかったら、今の僕はないでしょうね。当時は世界に通用するようなツアーにしなくちゃと思って一生懸命。とくにディレクターとして働いた(最後の)1年は、ものすごい勉強になりました。スポンサー、コース、運営関係などとの打ち合わせをたくさんしてね。でも、だんだん『ここが自分の最終地点なのかな』と思い始めて……。ゴルフ場の運営は前からやってみたかったところへ、太平洋からお話を頂いた」
------で、支配人業は?
「選手時代に何十年もツアーでお世話になっていたけど、いかに表の部分しか知らなかったかということが、JGTOで働いたときによくわかった。今は、プロゴルファーとして見られる自分と、仕事のギャップが辛いところです」
------“横島プロ”と言われるより支配人と呼ばれたい?
「それはそうですね。だんだん、ゴルフだけじゃなく、クラブライフを楽しんでもらえるように作り上げていきたい。少しづついい感じになってきてます」
------現在の生活は?
「東京の家から車で1時間ほどなので、最初は通えると思ってそうしていました。でも、やはり、帰って寝るだけになってしまうし、経済的なことも相談して、こっちに単身赴任。ロペ倶楽部に所属していた頃の猫6匹に囲まれて借家住まい」
------優勝して周囲の反応は?
「すごいですよ。コースの予約のほうも順調だし、これが追い風になってくれればいい。ぜひ、ご来場頂ければ。でも、こんなふうに勝てたのも、すべて会社の理解があるからこそ。感謝してます」
------賞金王になったら?
「全米プロシニア出場やQスクールの権利が発生するようですが、一切お断りするつもりです。本業は支配人ですから」
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