どん底から這い上がった起死回生の復活優勝。若手女子プロたちが華やかなスポットライトを浴びる中、昨年1年間を心身ともにボロボロの状態で過ごしながらも見事に立ち直り、開幕戦ダイキンオーキッドを制した藤野オリエの姿があった。
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1年間の「悪夢」から覚めた?
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沖縄とは思えない寒さと強風に見舞われ、選手たちが苦戦を強いられた同大会。5年連続賞金女王の不動裕理が3日間で6オーバー(7位タイ)、ワールドカップ優勝の原動力で、欧州ツアー初優勝目前まで行ったばかりの宮里藍が10オーバー(27位タイ)を叩く悪コンディションの中、初日、ただ一人60台でプレーした藤野は、最終日も自分のペースでプレー。優勝へと突き進む98年賞金女王の服部道子が自滅する中、通算1オーバーで見事、逆転優勝を飾った。
「今までのどの優勝よりも嬉しかった」とはじけるような笑顔で歓喜するツアー4勝目。その裏に隠されていたのは、苦しい、地を這うような1年だ。
「プロ入り後、順調に来ていたのに昨年まとめて(悪いことが)来ました」(藤野)と振り返る大スランプが彼女を襲う。それまでツアー3勝を挙げ、一昨年は優勝こそなかったが賞金ランク36位。シード常連として定着した矢先の2004年、シーズンに入ってすぐの4月、藤野は身体に違和感を覚えた。
「背中が痛くなったりして何かおかしいな、と思った」。だが、もともと腰痛持ちだったこともあり「いつものことかな」と、そのまま試合に出続けた。ところが、これがどんどん悪化。目まいまでするに至って、ようやく「おかしい」と気付いたがどうすることもできない。スウィングにも迷いが出始め「ゴルフが、訳わかんなくなってしまった」。
だが、ゴルフが悪ければ悪いほど、怖くて試合を休めないのがプロゴルファーの性。試合には出続けたが、よくなるはずもなく、5月のヴァーナルレディースで棄権した後は、4試合連続で予選通過を果たせず、次のプロミスレディスでも棄権してしまった。
今でも原因不明の体調不良に端を発したスランプで自信を喪失。親しい人たちにゴルフをやめることまで口にするほど藤野はボロボロになっていた。
それでも、支えてくれる人は多かった。「たくさんの人と話したら、ゴルフはやっぱりやめられないと思った」という中でも、2人の大きな存在があって、今の藤野がある。
中学卒業後、研修生として飛び込んだ葛城GC(現在も所属)で、ゴルフを教えてくれた寺下郁夫プロ(現浜松CC支配人)と、数多くのプロに教えている増田哲仁コーチがそれだ。
寺下プロは「本当に深刻だった。『ゴルフをやめる』と、泣きながら話したりするのを聞いたり、一緒に練習したり、ラウンドについて回ったり、飯を食べたり……。でも、失った自信を取り戻させるには、何か言ってもダメ。実戦で成功体験をさせるしかない。それで誉めたり、叱ったりしながらやった」と、当時を振り返る。
一方、増田コーチは「スウィングもうまくいかないし、やる気もない状態だった。ゴルフをやめる、と言うから、1回やってみてダメだったら考えてもいいんじゃないか、と言った」と、上体に頼る手打ちになっていたスウィングを改造。下半身のトレーニングも平行して行う荒療治だったが、藤野はこれを必死になってこなした。
こうして、どん底から何とか這い上がり、シード権確保こそ逃したものの、年末のQTに間に合ってなんとか今季の出場権を獲得。迎えた開幕戦で「まさかの勝利」を飾って周囲を驚かせた。
スーパーヒロイン、宮里藍も、6年連続賞金女王を目指す不動裕理をも主役の座からひきずり下ろし、思いもかけないスピードでの復活は、今後の活躍を予感させるものとなった。
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