オーガスタナショナルの前会長、ジャック・スティーブンス(81)が、7月23日他界した。現会長のフーティ・ジョンソン氏に引き継ぐまでの1991年から98年の間、オーガスタの4代目会長を務め、この間、マスターズの大会委員長として時代に応じた改革案を打ち出した。
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オーガスタも時代とともに変わってきた |
「オーガスタナショナルとマスターズは、素晴らしい人物であり、稀有な存在である前会長を失うことになった。個人的にも、私は親密な友人を失ったことになる。彼のリーダーシップの元でマスターズは成長を続け、彼の清廉さは、その成功を助けたといえる」と現会長のフーティ・ジョンソン氏は弔意を表したが、そのジョンソンをバックアップし、後ろ盾になっていたのがスティーブンスだった。
昨今のコース改造など、オーガスタとマスターズの改革の路線を作った人物でもある。
オーガスタナショナルGCとマスターズ大会の創始者は、言わずと知れた球聖ボビー・ジョーンズだ。
1933年にプレジデント、66年に永久プレジデントという名称が与えられているが、基本的にはジョーンズとともにオーガスタの発足に貢献した友人のクリフォード・ロバーツが初代会長になり、他界する77年までの43年間、実質的にオーガスタとマスターズの運営を行った。
初代会長のロバーツはユニークな人物で、投資銀行の役員として活躍する一方、アイゼンハワー大統領の財務顧問になったりしたが、超ワンマンとしても知られていた。
アイゼンハワーが17番のフェアウェイにある木(現在アイゼンハワーツリーと呼ばれている)の伐採を理事会で提案した際、相手が時の大統領であるにも関わらず、まったく聞き耳持たずに理事会を閉会してしまった。
また、黒人のチャーリー・シッフォードがマスターズの招待資格を獲得した際には、その招待基準を変更して、「私の目の黒いうちは黒人がマスターズでプレーすることはない」と語ったとか、エピソードには事欠かない。
その一方でトーナメント会場に始めてリーダーズボードを設置したり、アンダーパーを赤字で書くことを提案したりと、さまざまな独創性も発揮した人物だ。
2代目の会長となったウィリアム・レーン(1977~80)は、ロバーツが76年に後継者に定めたもので、3代目のホード・ハーディン(1980~91)は、レーン氏の副会長として、レーンが80年に亡くなると同時に会長に就任した。
つまり3代目会長までは、ロバーツ会長の子飼いだったが、4代目のスティーブンスになって、やっと初代会長の影響から抜け出ることが出来たのだ。
黒人のメンバーが初めてオーガスタに入会したのもスティーブンス会長の時代だし、現ジョンソン会長を選んだのもスティーブンスだと言われている。
もっとも、現ジョンソン会長も「ボビー・ジョーンズとロバーツ氏の伝統を守ってゆく」とは語っているが、保守的なロバーツ時代には、現在のようなコースの大改造など考えられなかったことだろう。
良い悪いは別にして、スティーブンス以降、時代の流れに即してゆこうという柔軟さが出てきたのも確かだ。
とはいえ、オーガスタの意思決定は、数名のトップグループの内部で決められるという伝統は、今も変わっていないようだ。一般のメンバーに聞いても、クラブがどのように運営されているか分からない事が多いという。
そもそも、ある日突然、オーガスタの年会費の請求書が届いたことで自分がメンバーになったことを知り、請求書が届かなくなったら退会させられたことが分かる、という具合だ。
亡くなったスティーブンスは、ニューヨークの大手証券会社の創始者で、ジョンソン現会長は、バンクオブアメリカの元頭取。オーガスタ初代会長のロバーツがウォールストリートの有名人だったことを考えると、アメリカ金融界のトップたちが仲間内でオーガスタの意思決定をしているようにも思えてくる。
いずれにせよ、米ゴルフ界の「陰の巨星」が消えたことは間違いない。
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