今年の日本シニアオープンは中嶋常幸が友利勝良を劇的な逆転で下し、シニア入り2年目(通算4戦目)にしてシニアツアー初優勝を飾ったが、最終日に中嶋と同組でまわり、2位タイに食い込む健闘を見せた須藤聡明にも意外なドラマがあった。
81年秋に6回目の受験でプロ入りした須藤は、レギュラーツアー時代にはツアー優勝こそないが、89年のアコムダブルス(現アコムインターナショナル・当時は後援競技)で青柳公也と組んで優勝。
同年、ラークカップ(現ABC選手権)で単独2位になるなどの活躍があり賞金ランク26位で初シードを獲得した。ちなみにアコムでペアを組んだ青柳公也は、須藤と同じ取手第一高校野球部の同級生で、一緒に甲子園の土を踏んだ仲でもある。
1955年9月6日生まれの須藤にとって今年はシニアルーキーの年だが、PGA(日本プロゴルフ協会)が主管するシニアツアーはシーズン半ばを過ぎているため、今季はレギュラーツアー(JGTO主管)のQTに専念することにして、シニアの選手登録は見送った。
しかしPGAとは別に独自の予選会(全国4会場)を行っているJGA(日本ゴルフ協会)の日本シニアオープンは、日高CCでの予選がたまたま須藤の満50歳の誕生日ということもあり、エントリー。
「50歳の誕生日でしたから、期待しすぎたんでしょうね。自分で自分にプレッシャーかけてしまって、最終ホールでカラーからですけど3パットのボギーにしてしまったんです」(須藤)と3オーバーの22位タイでホールアウト。
日高CCの予選から本戦出場枠は19人。18位タイの2オーバーまでがカウントバックで予選通過だったため、1打差で今季のデビューは諦めたはずだった。
ところが有資格者から欠場者が出て、10月中旬に須藤の元にJGAからエントリー用紙が届いた。「まったく諦めていたのでびっくりしました」
大会初日、1アンダーの3位タイと好スタートを切った須藤は、2日目はイーブンの足踏み状態で5位タイと順位を落としたが、3日目には68をマークして通算5アンダーの2位タイに浮上。首位の友利勝良と2打差で最終日を迎えることになった。
前述したように最終日は最終組の1つ前でスーパースター・中嶋とのラウンド。「緊張はしませんでした。もう10年前になりますけど、JCB仙台の3日目に中嶋さんとまわって、勝っていますからね」
当時の記録を見ると、94年のJCB仙台の3日目、須藤の68に対して中嶋は71。最終日は最終組で優勝した倉本昌弘とまわり、2打差の2位タイ。中嶋は67をマークしたものの4位タイで終わっている。
日本シニアオープン最終日、須藤には大きな目標が2つあった。1つは、もちろん首位の友利との2打差を逆転して優勝することだが、もう1つは単独3位以内に入ること。
シニアツアーのシードは30位までで、あと1試合(鬼ノ城オープン)を残して通算獲得賞金300万円が圏内の一応の目安となっている。日本シニアオープンの3位の賞金は385万5000円。
4位のそれは255万円。1発シードを獲得するためには、スタート時の順位を維持しなければならない。
「途中、友利さんが9アンダーまで伸ばして4打差になってしまったので、これは逃げ切りだなと、2位狙いの手堅いゴルフになってしまったのが悔やまれます。最後に1打差になるなんて思っていませんでしたからね」
と、試合終了後にしきりに悔しがっていた須藤だが、友利とともに2位タイとなり468万円余りを獲得し、賞金ランク17位に。PGAの選手登録をしていないため最終戦には出られないものの、楽々シード圏内に入ってしまったのだ。
92年に裏シードを獲得した以後は、QTからツアー出場を目指していたもののファイナルへ駒を進められなかったり、最後まで行っても上位に入れずチャレンジツアー出場がやっとという年も多かった。
「QTに出るのもエントリーフィだけでも20万円もかかるし、生活は楽ではないですよ。チャレンジなんかも経費のことを考えると遠くの会場だと出場を考えてしまいます。そういう意味では、来年、シニアの予選会に行かなくて済むのは助かります。棚からぼた餅みたいでラッキーでした」
9月のセカンドQTを12位で通過した須藤は、この稿が出る頃にはサードQT(11月15日~18日)に出場しているはず。この勢いでファイナル進出を果たしてほしいものだ。
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