スコット・ドレーパーが、オーストラリアのニューサウスウエールズ(NSW)PGAで、初優勝を飾った。といってもピンと来ない向きも多いだろうが、ドレーパーという人物は、元テニスのプロ兼コーチ。オーストラリアのスポーツ界では、有名人だけに、かの地ではちょっとした話題となっているのだ。
ドレーパーは、2005年のテニスのグランドスラムイベント、全豪オープンの混合ダブルスで優勝。シングルスでは、98年、ATP(世界ランキング)で42位になったのが最高だが、当時、病身の妻を抱えながらのプロ生活で、テニスプレーヤーとしてのピークを看病に明け暮れていたことで知られている。
翌99年に25歳で妻を亡くし、その後もダブルスなどでプレーを続けているが、その名はむしろウィンブルドンや全米オープンに優勝したレイトン・ヒューイットのコーチとして有名になっている。つまり、過去10年以上、オーストラリアのテニス界の中心にいた人物なのだ。
テニスでは、イアン・レンドルが、米ツアーに挑戦したことがあったし、バスケットボールのマイケル・ジョーダンがプロゴルファーを目指したこともあった。
今回、ドレーパーが優勝したNSW・PGAは、ホン・ニーダツアーというトーナメントの一つで、オーストラリアPGAツアーとは、一線を画している。
豪PGAツアーとクラブプロの集まりである豪PGAが協力して作ったもので、いわば豪州の≪2軍トーナメント≫のようなもの。しかし、れっきとした4日間トーナメントで、次世代プロの豊庫といわれるオーストラリアのプロゴルフ界にあっての優勝は快挙といってもいい。
ドレーパーは、最終日、ディフェンディング・チャンピオンで3日目までのトップのポール・マランツに4打差が付けられていたのを、フロント9で3つのバーディを取り、12番のイーグルで逆転、4日間20アンダーのスコアで、初優勝という立派な内容だった。
ゴルフは、12歳の頃から遊びでプレーしていたというドレーパー。豪PGAツアーのプロテストには、04年に合格し、05年はテニスとゴルフの二股で、プレーをしていた。
プロテストに合格した際には、「プレーできる場所を勝ち取り、やっと自分の居場所が見つかった感じだ」と語り、この年、「05年の全米オープンを機に、テニス界から完全にリタイヤするつもり。あとは、ゴルフにフルタイムで集中する。とりあえずは、プロの試合でベスト10に入れれば最高だと思っている」と豊富を述べていた。
ゴルフに専念した昨年は、鳴かず飛ばずで、オーストラリアのオフシーズンには、アメリカのミニツアーなどでもプレーをしていたが、最高の成績は、南オーストラリアPGA選手権での7位タイ。それだけに、1年半の努力がようやく実った今回の初優勝は、うれしさもひとしおのようだ。
さらに、この間、テニスコーチとしての活動を断念するという事態も生じ、それを決断して、数週間後の勝利であった。
テニスプレーヤーとしては、ピークに不運が重なり、むしろコーチとしてのほうが知られていたが、やはり自分の力で勝利する感覚が忘れられなかったのかもしれない。
コーチをしていた分だけ、メンタル面や体調管理、理論など一流のプレーヤーになれる下地は十分にある。
まだ、32歳のドレーパー、テニスでは峠を越えた年齢かもしれないが、ゴルフではまだまだ。今回の勝利で自信をつければ、これから大化けする可能性も十分にある。
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