タイガー・ウッズと競り合って、全米オープンのタイトルをものにしたアンヘル・カブレラ(37歳)。南米出身のプレーヤーとしては、40年ぶりのメジャー制覇とあって、南米でのカブレラ効果が期待されている。
南米アルゼンチン出身のプレーヤーとして、もっとも有名なのはロベルト・デ・ビセンゾだが、カブレラの経歴は彼に似ていなくもない。
ビセンゾは、全英オープンで、1948年、49年に3位、50年に2位、60年、64年に3位となり67年に44歳でジャック・二クラスを下して全英オープンを制しているのだ。
片やカブレラは、99年の全英での4位タイを筆頭に、過去8年間に4大メジャーでベスト10に6回入っての37歳での全米制覇。
ともに飛ばし屋として知られ、同じく時のベストプレーヤーを制しての栄冠というのも似ているし、ビセンゾが15歳でプロ入りしているのに対して、カブレラは小学校を中退して、キャディをやりながら、やはり15歳でいまシニアで活躍しているエドアルド・ロメロに弟子入りしているのだ。
ビセンゾというと、どうしても全英優勝の翌68年のマスターズで、スコア誤記のためにプレーオフのチャンスを逃した「ビセンゾの悲劇」ばかり取り上げられてしまうが、その後も活躍し、リジェンド・オブ・ゴルフで、米シニアゴルフの発端を作ったり、1980年の全米シニアオープンに優勝するなど、息の長い選手生活を送った。
そのビゼンソとともに、アルゼンチンや南米のゴルフが大きく発展した。アルゼンチンに限って言えば、およそ30年前には、ゴルフ人口は、1万5000人たらずで、ゴルフ場数も100コースあまりだったが、それが今では、ゴルフ人口が10万人を超え、ゴルフコースも240コースを越えている。
2010年の世界アマがアルゼンチンで開催されることが発表された時、「南アメリカで、アルゼンチンほどゴルファーも多く、ゴルフ場がある国はない」と語るインターナショナル・ゴルフフェデレーションのデビッド・ペッパー会長の言葉が、すべてを物語っている。
アルゼンチンのゴルフの歴史は古く、アルゼンチンオープンは、今年102回目を迎えているし、同国のゴルフ協会は1926年に発足している。
ただ、なんといっても、アルゼンチンのゴルフが注目されたのは、ワールドカップだろう。
1953年の第1回大会で、ビセンゾとアントニオ・セルダのアルゼンチンチームが優勝し、62年と70年には、ブエノスアイレスにあるアリスター・マッケンジー設計のジョッキークラブで開催されたワールドカップで、ともにビセンゾが、個人のメダリストに輝いている。
2000年にも、ブエノスアイレスGCで、ワールドカップがWGC(世界選手権)に組み込まれた、その第1回大会が開催され、この時は、ウッズとD・デュバルの米国チームが、カブレラとロメロのアルゼンチンチームを破っている。
今回のカブレラの優勝を受けて、ビセンゾは「彼こそはヒーローだ。死ぬまでにこんなことが見られるなんて……」と感激のコメントを発表した。
またアルゼンチン大使館では「(全米優勝後の)3日間、アルゼンチンのほぼすべてのメディアでこのニュースが大きく取り上げられ、水曜日にはカブレラ氏が故郷のコルドバ州に帰り、記者会見を予定しているから、これからも報道が続きそう」と語り、ある意味では、ビセンゾとともに発展した南米、アルゼンチンのゴルフが、カブレラに引き継がれたようだ。
カブレラの師匠のロメロは、ヨーロッパツアーを主戦場とし、8勝しているが、メジャーでは全英の7位タイ(97年)が最高の成績で、ビセンゾの後継者というには辛いものがあった。
カブレラの名前は、英語読みではエンジェル。ビセンゾを超え、南米ゴルフ界の天使になれるかどうかは、これからの活躍次第だろう。
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