|
遼くん、次の目標は『54』ですか?
|
さきの5月2日、日本男子ツアーに新たな歴史が刻まれた。「中日クラウンズ」の最終日、石川遼がツアー最少スコア記録となる「58」をマークし、逆転優勝。1ラウンド50台のスコアは世界のツアーを見渡しても非常に稀で、奇跡的な数字と言える。
日本のツアーで初めて50台のスコアが出たのは、1985年の「くずは国際トーナメント」。2日間の賞金ランク対象外競技だが、パー70のくずは国際CC(現・樟葉パブリックGC)で入江勉が11アンダーの「59」を記録している。
2回目は、倉本昌弘が2003年の「アコムインターナショナル」で、パー71の石岡GCを今回の石川遼と同じく12バーディで回り「59」をマーク。これがツアー記録となっていた。
海外の記録を探すと、米男子ツアーでは3回の「59」(いずれもパー72)がある。1977年に、全米プロ勝者のアル・ガイバーガーが「ダニー・トーマス・メンフィス・クラシック」にて、コロニアルCCで出したのが最初。
2回目は1991年にチップ・べックが「ラスベガスインビテーショナル」で記録し、3回目は1999年にデビッド・デュバルが「ボブホープクライスラークラシック」の最終日、最終ホールをイーグルで締めくくって、記録している。
|
13アンダーの59を出したアニカ(右)とデュバル。当時は2人とも飛ばし屋としても有名だった
|
米女子ツアーでも、2001年にアニカ・ソレンスタムが「スタンダードレジスターピン」で「59」(パー72)をマークしている。
ほかの海外記録では、1974年にゲーリー・プレーヤーが「ブラジルオープン」で「59」、2006年にジェイソン・ボーンがカナダツアー「バイヤー選手権」で「58」(パー71)、2009年の12月にセバスチャン・ガルシア・グロウトが「スペイン選手権」で「58」(パー71)を出している。
さらに2部ツアーまで見渡すと、1998年に当時のナイキツアーで、ノタ・ビゲイⅢとダグ・ダナキーの2人が「59」を出していた。
また、非公式ながら2000年の「全米オープン予選会」で丸山茂樹が「58」(パー71)、2004年の「PGAグランドスラム」でフィル・ミケルソンも「59」を出している。
ほかにも非公認ながらサム・スニードが47歳で「59」、伝説のプロゴルファー、モー・ノーマンに至っては「59」が3回と、世界中を探せば50台プレーヤーは意外といた。
|