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ゴルフができる幸せを実感していたのか終始笑顔だった小山内
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昨年、左ひじの故障で賞金シードを落とし、ファイナルQTでも決勝進出(90位以内)に失敗して、今季のツアー出場権がなかった小山内護が、セガサミーカップで3人のプレーオフを制して、見事な復活優勝を果たした。
昨年のファイナルQTで104位の小山内護が今年出ていた試合は、2部ツアーのチャレンジトーナメントと地方大会だけ。そんななか、マンデートーナメントを突破して出場したセガサミーカップは、小山内にとって今季初のレギュラーツアーの出場。
実はその前の週、北陸オープン(7月16日~17日)に出場していた小山内は、すっかりマンデーの日程を勘違いして、東京に戻れず北陸オープンが行われていた富山から北海道に直行。着替えは3日分しかなく、マンデー通過後は、日々コインランドリーで洗濯をしていた。
「雨の日は助かりましたよ。だってレインパンツを穿けば、ズボンを穿かなくてもいいでしょ」
と小山内。日々の食事は、仲間の平塚哲二らに「シード選手なんだから払っておけ」と、奢らせていたそうだ。
その平塚は、最終日を単独首位で迎えたものの、スコアを1つ落とし、通算13アンダーとした小山内、薗田峻輔、チョ・ミンギュの3人に逆転されてしまった。
パー5の18番を使ったプレーオフは、2ホール目で薗田が脱落。終始2オンに挑む飛ばし屋の小山内と手堅く3オン狙いのチョの一騎打ちに。1999年の日本プロマッチで谷口徹を4&3で破った際に、「タイマンなら負けない」と、豪語していた小山内はその攻めのゴルフを今回も貫き、4ホール目でチョを下した。
1998年にサントリーオープンの優勝で初シード入りして以来、シードの常連として試合に出続けてきた小山内にとって、スコアはそれほど執着するものではなく、「ダメならまた次週があるさ」とあっさり捨てるラウンドもあったという。ところが、試合に出られない日々を過ごしていると、その大切さが身に沁みてわかった。
「去年までは当たり前のように試合に出ていたけど、出られなくなると試合の有り難味がわかるんです。1打1打丁寧にプレーした。いつもなら簡単にボギーを打ってしまうのに、今回は4日間でボギーはたったの2つでしたから」と小山内。
今年6月で40歳になった小山内は、「同年代の人に勇気を与えられたとしたら、嬉しいですね」と満面の笑顔を浮かべた。
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