先の日本シニアオープン。混戦で優勝争いは最終日の最終ホールまでもつれこんだが、フィリピンのフランキー・ミノザが初の栄冠を手にした。
ミノザといえば不敵な印象を与える面構えから、さぞや強心臓だと思われがちだ。しかし、「実は、まだ足が震えているんだ」と試合後に打ち明けたように、重圧に耐えながらの優勝でもあった。かつて日本オープンで優勝に手が届きそうになりながら、終盤に崩れた苦い経験があったからだ。96年の同オープンでは最後の3連続ボギーでピーター・テラバイネンに優勝をさらわれ、97年には1打及ばずクレイグ・パリーに勝ちを譲っている。
ミノザが日本ツアーで初優勝したのは90年。アジアサーキットの最終戦と位置づけられていたダンロップオープンでプレーオフの末に杉原輝雄を破り、同サーキットの総合優勝も獲得。これを機に日本ツアーに参戦し通算7勝を挙げた。
フィリピンでは、大統領以上の人気があるといわれるミノザ。本人は多くを語らず、その素顔はいまでもベールに包まれている。
ミンダナオ島にある自宅を訪ねたことがある某日本人プロは、ミノザが所有する広大なパイナップル畑に驚いたそうだが、「これと同じものがもう1カ所ある」と聞かされ2度びっくりしたという。功成り名を遂げて母国ではVIP待遇といわれながらもツアーで戦い続けるのは、広大な農園で働く人々や、大家族を養うため、ともいわれる。
母国のフィリピンオープンはもちろん、インドネシア、台湾、パキスタンなどナショナルオープンを9回も制したミノザだが、日本のタイトルはもっていなかったため、今回のシニアオープン優勝は感慨深いものだったに違いない。
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