トッププレーヤーにして江連忠の師匠としても知られたプロの棚網良平が、17日、心不全のため亡くなった。91歳だった。
小学校時代から、世田谷区砧にあったゴルフ場で球拾いのアルバイトを始め、駒沢時代の東京GCでプロに。昭和25年に関東プロ、昭和35年には日本プロを制した。
相模CC所属のかたわら、長く高井戸にあるハイランドセンターで後進を指導。その教え子が江連であり、現在、プロコーチを務める内藤雄士らも“棚網の遺伝子”を受け継いだゴルファーといえる。
告別式で弔辞を読んだ江連は「世界一怖い先生だった。そして世界一優しい先生だった。生まれ変わっても、もう一度先生の弟子になりたい」と、声を絞り出した。「まだ上手くなりたいと思っているし、なれると思っているという棚網先生の言葉には鳥肌が立ちました。試合の放映が終わると必ず電話がかかってきて、先生にとって孫弟子にあたる(諸見里)しのぶや(上田)桃子たちにアドバイスをくれたものです」(江連)
諸見里は、昨夏、病院に見舞ったのがお別れとなった。「もう一度、相模を回るんだとおっしゃられていたのに。私ももう一度、先生に優勝する姿を見せると約束したのに………」
またひとり、大正生まれの巨星が消えた。
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