週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
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週刊ゴルフダイジェスト 8/6
2013/7/30更新

ク・オッキの早すぎる死。
惜しむ声がぞくぞくと

 日本女子ツアー23勝のク・オッキ(具玉姫)が56歳という若さで亡くなった。突然の悲報に、韓国も悲しみに暮れた。




 メディアでは「韓国女子ゴルフの先駆者、急死」(韓国日報)、「パク・セリの道を作り、パク・インビの羅針盤となったゴルフ界のレジェンド」(中央日報)といった見出しが並び、ケーブルテレビの「SBSゴルフ」では追悼番組も放映された。

 実際、韓国ゴルフ界での存在感は格別だった。子どものころに両親を亡くし、3人の兄と暮らしながら高校卒業後の1975年にキャディとして働くように。78年の韓国LPGA第1回プロテストに合格、1期生として韓国女子ゴルフの礎を築く。84年から日本でプレーし85年には韓国人プロとして日本ツアー初優勝を飾ると、98年には韓国人初の米ツアー優勝。韓国LPGA殿堂入り第1号となり日本で23勝、米1勝。94~2010年には韓国LPGA副会長を務め、11年からは2年間、会長職も歴任。その功績を称え、葬儀は初の協会葬となった。

 16日の協会葬にはシン・ジエらプロたちも多数参列。ジエは「信じられないが、これからも空の上で私たちを見守ってくれるはず」と泣きじゃくった。そんななか、パク・クネ大統領からの供花を託された文化観光部長官も弔問に訪れ、体育勲章「猛虎章」を贈った。韓国人初のメジャーリーガー、パク・チャンホなどが受賞してきたもので、女子プロゴルフ界ではパク・セリが過去に受賞。セリ は自身のブログに「ありがとうございます。夢を作ってくれて。光栄です。あなたからたくさんのことを学んだことで夢を叶えることができて。もう一度感謝します。韓国女子ゴルフ界のすべての選手たちが活躍できるようにしてくださって……」と綴っている。

 50歳を過ぎても現役にこだわり、最近は東南アジアで選手生活を再開させようと意欲的だったというク。生涯独身で「私はゴルフと結婚した」が口癖だった。冥福をお祈りする。


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