5年ぶりの優勝を目前にしたマイナビABC最終日。18番グリーンに向かう途中、小田龍一はふと思った。「(池田)勇太先生は待っていてくれるのかな?」……優勝した小田と池田、そんなに深い関係だったっけ。37歳の大男が、9歳も年下の池田を、先生と慕う理由とは?
ホールアウト後、勇太と抱き合う小田龍一
右手でのガッツポーズの後、アテストに向かう途中のグリーンサイドで〝師〟と対面。その時だけ、小田龍は肩を震わせ、目頭を押さえて涙をこらえた。笑顔のVは、池田の支えなしにはあり得なかった。
そもそものキッカケは2010年。ANAオープンの練習ラウンドで一緒に回ったとき。「ゴルフのこと、クラブのこと、ゴルフ界のことも僕よりずっと知っている」と感銘を受けた。「先生と呼んでいいですか?」そんなひと言から師弟関係は始まった。
ただ、池田が優勝を積み重ねていく一方、小田は次第に成績を落とした。13年は副鼻腔炎に苦しんだ上、ショットの不調にも悩んだ。「人前でできるゴルフじゃない」と引きこもりかけたとき、「大丈夫だから」「何とかなるよ」と手を引き、ハッパをかけてくれたのも池田。
胸中には先生の『お前はどうせ試合になったら打ち方が変わるんだ』の言葉がある。
ピンを見ると狙いたくなる。狙わないつもりでいても体が勝手に反応する。ショットの調子がよくないのに、小手先で打っていい結果が得られるはずもなかった。だから今はひとつの事を徹底する。
欲を出さない。意識するのは肩幅ほどのインパクトゾーンだけ。「テークバックした瞬間にダウンスウィングを始める感覚」だという。目の前の一打への集中が、復活への第一歩だった。
クラブセッティングでも、先生が力を貸してくれた。昨年限りでクラブの使用契約が切れ、今はテーラーメイドと1Wを契約するのみ。手探りのなかで14本を組んだが、自身は「渡されたものを信じて使うしかない」というほど無頓着。一方の池田は、いわずと知れた〝マニア〟だ。
そんな先生が、東海クラシックの前に、クラブをチェック。バランス、重さにしなり……。パターを除く13本の流れがよくなるようアイアンのシャフトを替え、ミドルアイアンは長さをインチカット。クラフトマンへの説明と指示も池田がして変更させると、初日9位発進。そこから4戦連続で予選を突破し、ついには5戦目で5年ぶりの優勝。やはり、池田の支えなしに、小田の復活はなかった。
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