尾崎3兄弟、将司・健夫・直道の母、寿子さんが亡くなった。94歳、老衰で天寿を全うしたと言えるだろう。
寿子さんは大阪生まれ大阪育ちで、ジャンボらの父親、実さん(1991年死去)と結婚したのは1942年(昭和17年)。實さんは航空隊で教官をして、最初は埼玉に住み、それから生まれたばかりの長女を連れて満州に渡った。「夫の田舎(徳島県宍喰町)に帰って百姓するしかなかったんですわ」(1987年、寿子さん)
そして昭和22年、正司(後に将司と改名)が生まれる。25年に妹、29年に健夫、31年に直道も生まれた。
3兄弟は父・実さんの身体能力抜群のDNA、生き方の指針をもらった。「私は航空飛行隊のパイロットでした。だから子供には『戦争で負けることは死ぬことだ。」どんなに苦しくても、どんな危険があっても負けてはいかん。試合に負けることは死ぬことだと思え』といってきました。精神的スパルタ教育です」(実さん)
この父にして、母あり。
「子供を食べさせるため一生懸命、黙々と働く姿で、最高の教育をしてくれた」と将司。
「運動をやってきた俺たちに食べさせるだけでも大変だったのに不足したことはなかった。たぶんオフクロが食べるのを我慢してたと思う。どんな豪華な食事より帰省した時のカレーが一番うまかった」(1987年、健夫)
父の厳しさ、母の優しさ、この2つがジャンボ尾崎の113勝という古今東西、前代未聞の大記録を打ち立てたバックボーンになったことは想像に難くない。将司はゴルフ界には入る前、プロ野球(西鉄ライオンズ)でアスリート人生の挫折を味わっているが、それも母の次の言葉で乗り越えたのだろう。
「ゴルフも自然が相手ということで百姓と似てますな。それでも根気強く田んぼに出る姿をあの子らもゴルフの時に思い出して“くじけたらだめや”と思うてくれればね……」
くじけぬ心で挫折をバネにして、将司は時代の寵児になり、さらに2人の兄弟も高みに立たせた。
寿子さんは「何もしてやれんかった」というのが口癖だったが、言葉でなく後ろ姿で子供を育て上げた。
大正生まれの強き母、逝く。合掌。
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