今からちょうど100年前、1915年が世界ゴルフ隆盛のための用具技術革新のきっかけの年になった。
ハスケルボール。トウ&ヒールバランスのピンの初代アイアン
それはボールとクラブのこと。ボールでいえば、この時代、英国(スコットランドを中心に)は糸巻きボールの原型であるハスケルボールが台頭していた。ゴムの芯に伸張した糸ゴムを巻きつけ、これにこれまでのガッタパーチャのカバーを被せたもの。コバーン・ハスケルが発明(1899年)して米国で特許を得ている。その特許の有効期限が25年なので、1915年はその特許が切れた年なのである。ハスケルは自国英国で特許申請をしなかったのだろうか?
「裁判で認められませんでした。以前のガッタパーチャにも似た構造のものがあったと裁判で実演されています。このことは複数の資料で確認できました。この特許が認められなかったからこそ、後世のボール開発競争が起きたといえるでしょう」(ゴルフ史家・大塚和徳氏)
後に技術大国となる米国では特許が切れ、英米が同時に熾烈なボール開発競争の幕を切ったことに、歴史の妙な暗合を感じる。
ハスケルボールはガッタパーチャよりドライバーで20ヤード(キャリーで10ヤード、ランで10ヤード)飛んだ記録も残っている。ハスケルから糸巻き、そしてワンピース(1966年、米国)現在の多層構造へと素材も物理的理論も進化。またハスケルがシャフトの量産革命を引き起こしたスチールシャトを生んだという説もある。
「ともあれボールの変化がコース設計に変化を及ぼしたことは事実。これはハスケルのときからすでに始まっています」(前出・大塚氏)
もう一方のクラブも1915年の話。現在でいうトウ&ヒールバランス理論は、英国のG・リーによって米国で特許がとられていたという。ボールと全く逆のケースだが、この時代にすでにトウ&ヒール理論が発見されていたことに驚かされる。そしてこの理論の実用化はC・ソルハイム(元は世界的企業GE・エンジニア)によってピンパターとし結実する。トウ(ヘッドの先側)とヒール(手前側)に重量を振り分け、フェースの背面部分を薄くしてスウィートスポット(芯)が点ではなく、エリアに広がったのは画期的だった。この技術がキャビティバックアイアンを生んで、打ちやすいクラブとしてゴルフ大衆化に寄与した。
「他にも技術革新は何度かありましたが、トウ&ヒールバランス理論がアイアン、パターづくりにおいてエポックメーキングだったことは間違いないでしょうね」(用具ジャーナリスト・河北俊正氏)
「1915年」はまさにゴルフの歴史において括目すべき年なのである。
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