宮本留吉が使った? 作った?クラブ50本大阪で見つかる
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2017/09/12号
2017/09/01更新

宮本留吉が使った?作った?
クラブ50本大阪で見つかる

 黎明期の日本プロゴルフ界で数々の偉業を成し遂げたレジェンド、宮本留吉ゆかりのクラブが発見され、話題になっている。

樟葉パブリックGCで見つかったクラブと宮本留吉(77年日本プロシニア)

 日本プロの第1回優勝者であり、日本オープンでは大会最多の6回の優勝を誇る宮本留吉。日本人で初めてメジャー(全英オープン)に出場したのも宮本だ。また、現在のように国産クラブがなかった当時、宮本は自らクラブを手作りして競技に臨んでいたほどクラブに造詣が深かったことでも知られている。

 そんな宮本が使っていたと思われるクラブが見つかったのは大阪府枚方市の樟葉パブリックGCだ。

 同GCは宮本が昭和43年から亡くなる昭和60年まで顧問を務めていたコース。今年開業60周年を迎えることから、何かお客さんに見せられるようなものはないかと同GCの大塚憲郎社長が倉庫を探していたところ偶然発見した。

 見つかったのはトム・ミヤモトブランドのドライバー、アイアン、パターの合計約50本。宮本のクラブがこれだけ大量に見つかったのは今回が初めてで、ほかにもキャディバッグや肖像画、写真などがあったという。

 「なかには宮本氏が大正4年から昭和19年まで所属していた茨木CCの名前が刻印されているアイアンもありましたから、これについてはご自分で使用されていた可能性が高いですし、相当古いものですね。国産初のゴルフクラブは昭和8年の発売だそうですが、今回見つかったクラブはそれ以前のものである可能性もあり、宮本氏が製作に深く関与したものではないかと思われます。それ以外の比較的新しいものについては、宮本氏がうちでレッスンをされていた際使っていたものかも知れませんが、正直詳しくはわかりません」と大塚社長は言うが、いずれにせよ、日本のゴルフ史を語る上で、またとない貴重な資料であることは間違いなさそうだ。

 
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