今年のシニアナンバーワンを決める日本プロシニアは、台湾の蘆ロ 建ケンジュン順に凱歌があがったが、かつて台湾勢といえば日本ゴルフ界を席巻したこともあった。
日本プロシニアを制した蘆建順
蘆は淡水GC(現台湾GC)出身で、台湾ツアーで40勝以上を挙げ1983年に初来日、87年まで毎年16試合ほど出ていたが目立った成績は残していない。98年からは重篤な腰痛のため、7年間一度もクラブを振っていないという。しかも、その腰痛の"痛み止め"として年間1000本ものウイスキーを飲み、それが現在の復活につながったというのだ。
「もしあの時、痛み止めの薬を飲んでいたら体はボロボロになっていただろう。病院にいったら手術されたかもしれないしね。あれだけ酒を飲んだが、肝臓はどうもなかったよ」と蘆は笑う。その後、米チャンピオンズツアーへの参戦経験もある。
蘆の師匠は日本ツアー11勝の謝敏男。謝も淡水GC出身だ。
同コースは日本統治時代に造成され、そこで育ったプロは日本へ大挙押しかけることになる。嚆矢となったのは台湾プロ第一号、陳清水。当時日本ゴルフ協会・副会長の野村駿吉に誘われ来日し、日本オープン、日本プロに勝利し、川奈ホテルに所属。陳を頼って、林萬福、陳清波(ツアー24勝)、陳金獅らが来日。1970年代になると、謝永郁、呂良煥、郭吉雄、前述の謝敏男、許勝三らが来日。日本ツアーで一大勢力となった。80年代になると呂西均、蘆、涂阿玉、陳志明・陳志忠兄弟(林口GC出身)が続々と来日。とくに涂は歴代1位タイの69勝を挙げて7回の賞金女王となり、涂時代を築いた。現在、男女を通じて外国人選手唯一の永久シード保持者。今、世界で活躍しているヤニ・ツェン、日本女子ツアーでのテレサー・ルーも台湾ゴルフ系譜の継承者である。
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