全米オープンもついに変更!プレーオフ、当日決着に
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2018/06/12号
2018/07/06更新

全米オープンもついに変更!
プレーオフ、当日決着に

  今年の全米オープンは、これまでのプレーオフの規定である「翌日18ホール(H)」から「当日の2ホールのストロークプレー、以後サドンデス(SD)」に変更された。これでメジャーは全部当日での決着となる。

 かつてメジャーのプレーオフは翌日18ホールが当たり前だった。それがマスターズは最初からSD、全英オープンは4Hストロークプレー、それで決着しなければSD。全米プロは3H、後がSD。最後まで18Hにこだわっていた全米オープンもついに“陥落"したというわけだ。その理由は、ボランティアの確保など運営サイド、とくにテレビ放映の事情が大きいようだ。3年前、莫大な金額で放映権を獲得したフォックステレビにすれば、日曜日に決着してほしいと願うのはもっともなことかもしれない。

 今年も競技委員として同オープンに参加する川田太三氏は「USGA(全米ゴルフ協会)も、いきなりSDは採用したくなかったようです。最終組が上がるのは19時近くで、3~4Hとなると日没になりかねません。そんな事情で2Hに落ち着いたのでしょう」

 同オープンでのプレーオフの歴史をひもとくと──。大会自体は1859年から始まり、72Hになったのは1898年から。1901年に初めてプレーオフになり、以降23年まで7回行われている。25年、ウィリー・マクファーレンと球聖ボビー・ジョーンズが18Hプレーオフでも75と並び、さらに翌日18H戦い、球聖は1打差で勝利を逃している。当時は18H、18H、36Hストロークプレー。28年にはプレーオフも36Hとなり、体力勝負だった。31年のインバネスクラブでの戦いはその最たるもの。ビリー・バークとジョージ・フォンエルムは72H、292で並び、翌日の36Hでも譲らず、再度36H闘い、バークが1打差で勝利。もしここでも決着しなかったら、翌日36Hとなるところだった。39年からは翌日18Hに戻り、最近では84年、ファジー・ゼラーが降参とばかりに白いハンカチを振りながらも、結局はグレッグ・ノーマンを下したプレーオフが記憶に残る。

 ちなみに日本オープンでは1960年まで翌日18H、その後はSD。61年から当日3H、SD。73年に最初からSDになって現在に至る。

 
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