豪州と米国から2人の訃報がもたされた。"サー"ピーター・トムソンとメジャー2勝のヒューバート・グリーン、2人とも大の親日派だった。
トムソンは豪州ブランズウィック生まれ、メルボルンで腕を磨き、全英オープンでは3連覇を含む5度優勝。この功績により、英国から「サー」の称号を受けた。国内外で63勝。コース設計にも力を注ぎ、世界各地に170コース、日本でも南部富士CC(岩手)をはじめ13コースを残す。リンクスコースを愛し、マスターズの行われるオーガスタナショナルGCには「英国出身のマッケンジー博士は、なんでまたあんな人工的な彩色のコースを設計したのか」と疑問を呈している。ジャーナリストとしても活躍。プレスルームでタイプライターを叩く姿が散見された。大の日本贔屓で毎年のように日本ツアーに参戦し4勝。1976年、ペプシウイルソン・トーナメントでは4人によるプレーオフで14ホールに及ぶ死闘は語り草。また長男・アンドリュー氏は父に勧められ日本の慶応大学に留学、国際弁護士として活躍し、日本在住。奥さんも日本人だ。
“早打ちマック"ことヒューバート・グリーンは気さくな人柄で誰からも慕われた。8の字を描くようなループスウィングで全米オープン、全米プロとメジャー2勝。PGAツアーを始め国内外で28勝。米国以外では日本にもっとも多く参戦し2勝。そのうちの1勝のダンロップフェニックスには20回も出場。後輩プロにも日本の良さを伝えた。後年には、構えてから20回以上目標とボールを見直すアドレスイップスに陥り“遅打ちマック"となったのはご愛嬌だった。
「全米オープンに勝ったら突然、僕はすべての専門家になった。訪問記者がゴルフ、外交政策からピーナツの値段まで意見を聞くんだぜ」と笑った。彼の夫人も日本人だ。
トムソン、享年88。グリーン、71。共に大きな功績を遺した。合掌
(編集委員・古川正則)
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