普段は“寡黙な東北人"のイメージそのまま、プレーではいぶし銀のような技術を見せてくれたプロがまた1人、旅立った。
さようなら、新関プロ
新関善美、脊髄腫瘍のため逝去。享年63の早すぎる死だった。新関は山形生まれ、高校は県外に出たが、その後は山形に戻って住み続けた。
ツアーでの勝利は1988年「ミズノオープン」、1989年「日経カップ 中村寅吉メモリアル」と2勝。ほかに、くずは国際、東北オープンなど、後援競技で2勝。チャレンジツアーなどでも3勝。テークバックでインに引き、コックは可能な限り使わない。変則に見えたが、ヘッド、フェースが常にスクェアを保つ打法で飛距離より正確さを身上とした。「自信ある我流は自信なき正統に優る」を実践した人であったように思う。
パー5で刻む際、新関は「3打目はきっちり70ヤード残します。サンドウェッジのフルショット80ヤードではバックスピンで戻るし、60ヤードではスピンがほどけて止めにくいので」と達意の言葉を聞いたことがある。いかにも東北人らしい信念の強さで己のスキルを磨いていったのだろう。
しかし、現役時代の寡黙な印象は、引退後はガラリと違ったように見受けられる。栃木のテレビ局でトーク&レッスン番組を持ち、東日本大震災の時にはボランティアで奔走した。また所属するPGA(日本プロゴルフ協会)では、それまでなかった東北地区の理事の枠を設けることに尽力し、自ら東北の理事代表として意見を開陳した。今年、3月の会長選にも立候補したが倉本昌弘・現会長に敗れた。ほぼ同年代の倉本は現役時代から常に華やかな大輪の花のイメージ、比するなら新関は藪のなかでひっそりとかわいらしい花をつけ、過酷な環境にも強いというヤブランのごとき生き方ではなかったろうか……。合掌
(編集委員・古川正則)
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