精密機械スウィングジーン・リトラー逝く……
 

週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
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週刊ゴルフダイジェスト 2019/03/12号
2019/03/07更新

精密機械スウィング
ジーン・リトラー逝く……

  〝ジーン・ザ・マシーンと謳われ、精密機械のごとくメカニカルなスウィングで一世を風靡したジーン・リトラーが世を去った。

74年太平洋クラブマスターズにて

 リトラーは1930年、カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。サンディエゴステイツカレッジを卒業後、海軍に勤務し、海軍ゴルフチームでプレー。53年、全米アマに優勝し、プロ入り後はツアー29勝。そのなかでも61年の全米オープン勝利が光る。60年代はアーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤーのビッグ3をはじめ、ビリー・キャスパー、リー・トレビノなど多士済々で、そのなかでのメジャー奪取は価値あることだろう。

 リトラーを語るとき、まず挙がるのが正確無比なショット。前時代のサム・スニードはシルクのような滑らかなスウィングと表現されたが、リトラーのそれは精密機械に喩えられた。ニクラスやパーマーのようなパワーはなかったが、計算し尽くされたショットの正確さ、冷静な思考の果ての勝利が彼らより際立ってみえた。そんな完璧主義者、リトラーが、「ゴルフは"ベストミス"のゲーム」というのが信条だったというのは面白い。「いくつ素晴らしいショットを放ったかではなく、いかに取り返しのつくミスをするか、ということ。半ストロークミスのショットなら痛手は取り戻せる」。

 いつも完璧を狙って打っているかのように見えたリトラーは実はミスを許容しながらプレーしていたのだ。「路上の雨のように、自信はストリーキー(ムラがあり)」とも言っていた。なんとも含蓄ある言葉ではないか。

 皮膚ガンを克服し、最後の勝利は47歳。日本でも当時の太平洋クラブマスターズで通算2勝。90 年にはゴルフ殿堂入りしている。享年88。“いぶし銀"が、また1人逝った。合掌。

 (特別編集委員 古川正則)

  

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