アジアンツアーとの共同主管で行われたダイヤモンドカップは、マンデートーナメントで出場権を獲得した浅地洋佑がツアー初勝利。その道のりは決して平らではなく……。
浅地おめでとう!
浅地は昨年の賞金ランク56位のシード選手だが、大会が共同主管でランク下位まで出場枠が下りてこないため、月曜予選会からの出場になった。ちなみにマンデーからの優勝は9年ぶり6人目の快挙でもある。
浅地がまだ母のお腹の中にいたときに両親が離婚。父の顔を知らずに育つ。ゴルフは、保育園に通っていた浅地が「ゴルフをやってみたい」と言いだし、母・伸子さんは「お稽古事のひとつ」と考えて始めさせた。
子どもひとりでも歩いて通えるように、スクールのあるハイランドセンター近くに引っ越しもした。練習場には7ホールのショートコースがあり、遊びながら小技を磨くことができた。
やがて浅地はジュニア大会に出るようになる。小4のとき、当時小6の石川遼と予選で同組になった。100近く叩いた浅地と石川のスコアは30打以上の開きがあった。
杉並学院中学1年生の春、関東中学生選手権で、3年生の石川遼とのプレーオフの末に浅地は敗退。翌年、石川は杉並学院高校に進学して先輩後輩の間柄になる。
常に石川遼の背中を追う形になっていた浅地が初めてスコアで石川に勝ったのが、高2で出場した10年ダイヤモンドカップ(狭山CC)で9位に入りローアマなったときだ。石川は32位だった。
11年のQTで11位になった浅地はプロ転向。その翌年、ランク67位で初シードを獲得。しかし、それも長続きせず、ここ数年はパターイップスに悩まされていた。
イップス克服のきっかけになったのは、ハイランドセンターのスタッフに「読んでみたら?」と勧められた、デイブ・ストックトンの本だった。「ヘッドのどこに当たろうが、ラインに乗ってさえいればカップに入るって書いてあったんです。それでラインに集中できるようになりました」と浅地。
もちろん、育ててくれた母の恩、昨年入籍した妻・智子さんの献身も背中を押す力になったはずだが、「ラインに乗ってさえいれば……」のフレーズが浅地の感性を目覚めさせたことも見逃せないだろう。
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