ヒューストンオープンでラント・グリフィンが米ツアー初優勝を飾った。無名の31歳が勝利をつかみ取るまでの苦難の道とは?
5年前、グリフィンの銀行口座の残高はわずか176ドル(2万円弱)だったという。不本意ではあったが同僚プロのキャディをして食いつないだ。試合に出られないどん底の日々が続き17年の春にはゴルフを辞めたいとマネジャーに訴えた。それから2年半。グリフィンは1・8メートルのウィニングパットを沈め、両手を挙げて歓喜すると、人目もはばからず、すすり泣きし始めた。来し方を思うと「感謝しかなかった」。
父マイケルさんに連れられ、ジュニアクリニックに参加したのがゴルフとの出会い。そこでスティーブ・プレイターというインストラクターと運命的な出会いを果たす。すると12歳のとき最愛の父が脳腫瘍で倒れ他界。以降プレイターが父親代わりとなった。
「96年のクリスマスに父がハーフセットをプレゼントしてくれていたんです」。その父は息子の成長を見届けることなく4年後に亡くなってしまったが、周囲の厚意(とくにプレイター)で奨学金を得て大学に進学。10年にプロ入りした。そこからは苦難が続いたが、下部ツアーで2勝を挙げ18年にPGAツアー昇格。19-20シーズンに入ると調子を上げ、開幕戦から4試合連続で18位以内に入ったあとヒューストンオープンで悲願の優勝と相成った。
「信じられない」を連発したグリフィンは目下フェデックスカップのポイントランク、賞金ランクともに1位に躍り出た。わずか2年前破産寸前だったプロが紡いだサクセスストーリー。優勝賞金は135万ドル(約1億4600万円)だから、ほぼ無一文から億万長者に転身したことになる。
「ついに(親代わりになってくれた)プレイターにお礼をするときがきました。彼の前で小切手を書いて手渡すのが待ちきれません」
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